2009年10月24日土曜日

加藤和彦

この秋の人参の芽吹きです。
夏野菜が不調のまま立ち枯れし、それでもめげずに蒔いたいくつかの種も大半台風18号の猛雨で流されてしまったのだけど、生き残った部隊は自分の役割を果たしだしてくれています。

加藤和彦、自死。

フォークルの時以降はそんなに好きな音楽という訳ではなかったけれど、
安井かずみと組んだいくつかはホントにきらびやかで素敵だった。

特に竹内まりやの「不思議なピーチパイ」。
2000年ライブバージョンをどうぞ。「september」も続いてます。
ソメリエのお弟子時代、毎年これがかかるとおセンチになって、
もう何回聞いただろう、そしてあと何回、なんて九月になると思ったものでした。

1981年の「サイクリング・ブギ」のまりやの低音もびっくり。
楳図かずおのような加藤さん。

そういえば小野ヨーコとレノンのプラスティック・オノ・バンドがあって
サディスティック・ミカ・バンドがあったわけで。

オリジナルのそれより、そして桐島カレンがいたときよりなんと「抜け」のよい良い曲になったかと思った木村カエラとの「タイムマシーンにお願い」
。2007年、こんないい上がりになっていたのに。
小朝のような加藤さん。

幸せなことに、「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」のように老境を迎えたミュージシャン達の渋すぎる音の世界を私たちは見ることができるようになりました。10代から音の世界のあらゆる恩恵を受けて来た加藤さんの70代、80代の音楽を聞いてみたかった。

「感情」というものを持ってしまった人間存在のかなしさ。
(とりあえず)「意識」というものがないとされる植物達の盲目の「生」の
しぶとさを見るにつけ、入れ替わりのできない存在が消えて行く物悲しさに
は深いおののきを感じてしまいます。


ほうれん草です。


長ねぎもぐわんばってますよ。


聖護院ダイコンの双葉。


私の周囲にも「鬱」に関係するもろもろが溢れています。
加藤さんのような60代の事例。ある意味やるだけのことはやり尽くした上でのシモジモから見たら羨むような話。

翻って若い人達のような仕事、生活そしてその先の「未来」に関する切羽詰まった話に比べるとまだマシかと不謹慎にも思ってしまうのでした。

基本的に生活全般の「革命」が終わって、(もちろん病や貧富のことは永遠に残るものの)あとは「意味」の世界になっていることからくる問題。
そんな風に言ってしまうと身もふたもないのでしょうけれど事実でしょう。

長島一茂サンが鬱に関してカミングアウトしていました。
鬱に成ってしまう人は几帳面で繊細であることは確かだけれど、ある意味「ワガママ」で自分の理想と現実とのギャップに必要以上に悩む人種だと。

時間が必要でしょう。
長い長い人生の何年か。ともかくしぶとくやって行きましょうぞ。

それにつけても基本の「生活」が立ち行かなくなってしまうのは痛ましい。
その意味で「ベーシックインカム」が幾分絵空事でなく視界が見えてきた
ような雰囲気があるのはちょっといいことなような・・・・。

驚くべきこと。
民主党政権になってわかった一番のことだそうな。
年金やら介護やら道路やら防衛やら、その問題点を洗い出そうと一生懸命になっていて取りあえず前進するためには必要なことだと言いますが、
驚くべきことにその全てを検証することは不可能だと分かったそうです。
まるでゲーデルの不完全性定理みたい!!

ひとりひとりの人間を見たらそんなにえげつないことはないと思うものの
このていたらくは一体なんなのでしょうね。
若い人達が虚無的になるのは当たり前でしょう。

わたしが、私のできることで何をしていったらいいか?

青臭い話ですが。
「トランジスタラジオ」を作ったキヨシローがいなくなっても、「ピーチパイ」を生み出したトノバンが消えてしまっても、
わたしは一瞬の哀しさを忘れて、また制作に戻るわけです。

それではおセンチついでに
加藤さんが目をかけていた竹内まりやの此の曲でto be continued ということに。まりやさんはソメリエとは同学年。


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2009年10月15日木曜日

リニア新幹線


2045年に東京ー大阪間67分で開通だそうな。
あと35年、そこまでは生きていようと思うので、そうなったら
冥土のみやげとやらで最後に乗ってみようかしらん。
そんな思いを抱いていたら西の空、日没直後の山並みから何やら後光の如き
光が。ソメリエは殆ど閉じこもって制作していますので新幹線にも滅多に乗りませんが、たまに乗ると嬉しくて窓に張り付いてしまいます。
で東海道だと富士を見て、海も見て、お弁当も食べて、ちょっと本も読もうかと思いきや、もう京都に着いてしまって降りなくては行けない。
シベリアかオーストラリアのうんざりする程まっすぐな鉄道に何日も乗っていたい。
リニアになったらトンネルだらけだろうし一体どうやって楽しめばよいやら。しかしもうそんな憂いを抱くのは自分には無用だというわけでして。

さて野坂昭如さん、あれだけ世の中のもろもろに悪態ついて来た人が、
「もうお先は短いのだから、世の中のことなんかホントにどうでもよい」
と言っているのを見て改めて、時は本当に残酷に刻まれていくのだと思ったのですが、わたくしの「時」に対する感覚のひとつが山の工房の建設なのです。
主に植えられて30年から40年経った杉を300本以上伐採し、その材で作り挙げた建物を取りあえず100年ほど保たせようと目論んでいるのです。
私がこの世から去った後のことは知りません。
大事に扱ってほしいと思うだけです。

太平洋戦争時、戦争遂行のため(燃料用として)丸裸にされた広葉樹林跡に戦後植えられた杉、檜がびっしり育っています。
しかし外材の輸入によって市場価値の低下した杉は放置され
間伐も手入れもないまま、木偶の坊のように突っ立っています。
例えば直径30センチ、長さ20メートルの材を切り出して麓に運んだとしても、人件費の方が高くて利益は出ないと言います。

あと20年もしないうちに諸外国は木材の日本への輸出をしなくなる様な気がします。そうなってからあたふたとしてどうするのでしょうか。
今年から「花粉症」だとかの石原東京都知事の鶴の一声で、ウチの工房のあたりでも杉の伐採が始まりまして、部分的に10パーセントとか20パーセントとかの目標でやっていましたが、作業する人達は焼け石に水と思っているのか、はたまたどうせいつまで続くやらと思っているのでしょう。やりやすい細くて楽な木ばかり倒していました。そして利用もできないので切り倒したその場所に置かれます。放置間伐と言うそうです。まぁ、所謂「お役所仕事」というやつです。

さて私は世の中がどうであれ貴重な杉や檜を利用させていただきます。
すでに始めてから14年の歳月が過ぎようとしています。
ちょっとだけ途中経過をお見せいたしますね。
一応枠組みだけは出来ました。

冬場は零下10度以下になるので断熱材を床下、屋根裏に入れまして

明るい昼間の時間は短いのでどうしても暗くなってからも作業は続きます

いくら好きとは言え一晩中やるわけにはいかず。
本日はここまで、おやすみなさい



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2009年10月8日木曜日

ツイフーン twitter

オバマサンが大統領選挙に活用したとかでなんだか良く分からないうちに認知されだした「twitter」ですが、
大きな討論会や発表会で意外な高揚があるなんていうことが囁かれていますがそのことはまたいずれ。
台風18号がまもなく紀伊半島に上陸という時を前に
そのtwitterを利用したその名もtwiphoonが昨日立ち上がりましたので
ご紹介させていただきます。

リアルタイムに各地の「特派員」たちが報告する140文字のレポートを覗き見ることが出来、twitterに登録さえすれば自分も発信出来るというもの。
解説はこちらをどうぞ。

巨大台風は地震を誘発することがあるというのは「とんでも話」ではないと
以前書きましたが東海沖を行進してしまう18号サンはどうでしょうか。
ひどいことになりませぬよう。
山の開拓に関わるソメリエはいつもそんな心配ばかりしてしまいます。

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2009年9月25日金曜日

天網恢々疎にして漏らさず・そしてGreed

暑さ寒さも彼岸まで、なんて半年に一回は知った様な口ぶりで言い続けていますが今年はお彼岸を越えてもまだ「暑気」が感じられます。
特に西の方の方々、おつかれさまです。

さて今回ですが、老子様のお言葉。
天の網は大まかではたしてこんな下々のことまで掬いとっていてくれてるんだろうか、と思いきやあにはからんや。
かいつまんで言いますと、「お天道様は見てござる」ってなことでしょうか
。しかし此の夏はそのお天道様が大変不十分で、野菜達の幼少期に曇りばかりで結局シーズンが終わろうとしている今になっても取り返しがつかなかったと言う有様でした。擬人化はいい加減にしないといけないのですが、やはり身につまされます。成長すべきときにしないと、後々の復活はむずかしいと。

春先は制作に忙しくて、毎年種まきが遅れてしまいます。
特に2008は京都個展、2009は新宿への工房移転もありまして・・・・。
だからそんなこんなで我が「放置農業」はケア不足でかわいそうなのですが、それにしても今年はつらかったです。
プロの方達も四苦八苦なので値段も高かったわけですね。

少し前の朝日新聞に最近農業に就く若者が増えて来て、行政も支援しだしているなんて記事がありまして読み進むと、興味はあるものの現実は厳しくて
結局あるところでは17人来たけれど夏を終えて残った人はいないとか、その最後の数行を読まなければなんだか農業の未来に日が差す様なレイアウトで
ぶったまげてしまいましたよ。相変わらずこういうアプローチは下らなすぎて目眩がします。自然を相手のことはソメリエのつたない経験からしても
三年に一回はがつーんとしょげかえるようなことばかりです。
喜びも代え難いものがありますが、うまく行かないことの方が多いです。
一週間種まきが遅れると収穫がひと月遅れたり、全滅したりということは日常茶飯事だと言います。それでもやり続ける人がやれば良いのです。
甘い言葉はいらないでしょう。
野菜系の雑誌も続々登場してブームの感があります。
そしてアナリシストと言う方達が、アメリカに習って土地の集約化、共同化とか企業形態・経営への変換を促していますが、それがベターなところはそうすれば良いでしょうが、基本的に日本の風土には向いてないでしょう。

多分、都会の会社務めを投げ打ってまで新しい生き方にかけようと言う方には余り「効率」を重要視する農業は筋違いでしょう。
まもなく農製品自由化はやってくるでしょうが、知恵を絞って収穫から一日、二日以内で食べられるもの、というようなような対応をしていくしかないのではないかと。

お天道様は見てござる、です。

エコ、それの産業化のなかで例えば排出権の取引なんてやりだしてますが
こいつは儲かると思ったらまたまたハイエナのようにやってくる物達
がいますね。オバマサンが非難したGreed・強欲。

そういえば社保庁の問題ですでにもらった退職金やボーナスを返還した職員やOBの方達がかなりの割合でいたと知り、当たり前だとは言えなかなかノンGreedなお話だとノー天気に思ったのですが、本当のところどうなのでしょう。どの程度の強制だったのでしょうか。

いずれにしろ天網恢々疎にして漏らさずであります。
宗教のない日本では世間体とお天道様を案配するしかないのでしょう。

では殆ど失敗だった今シーズンの野菜達の最後の姿をいくつか。

オクラ
手前の曲がったようなのは固くて筋張ってとても歯が立ちませんよ。
擬人化ばかりすると嫌われるので触れませんけど。
シシトウ
ニガウリ(ゴーヤ) 結果したのが凄く少なかった
やはり無駄咲きが多かったズッキーニの花
元気がないのですぐ虫がつき「病」もはびこる
テントウ虫のサンバ、なんて言っている場合でない!
なすび  細し!!
瓢箪の花  きゅうりは全滅したのに紛れ込んでいたこいつが
何本も凄い勢いで成長して・・・・
一面こんな有様に。 食べられない!!
おつきあい、ありがとうございました。
ではまた。
仕事は勿論してますのでこちらもどうぞ。


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2009年9月12日土曜日

すべての女性がのぞむこと


お月見を前にして不思議なお話をちょっと。

前回書いた「中学生のための哲学「超」入門」に登場した「ガウェインの結婚」というまことに狐につままれたようなお話が、金岡新さんという高校の先生が個人的にやっていられる「世界史講義録」という大変素晴らしいサイトの第一回目の授業に登場します。生徒達に自己紹介をかねてこの「アーサー王物語」の中のひとつのお話を話すのですが、これがすっとこちらの胸の中に落ちる話ではなく、なにか煙に巻かれた様な気持ちになるのです。
こんなお話が700年以上前に書かれていたなんて・・・。

「すべての女性がのぞむこと」

こんな謎解きのことなのですが、どうぞ頭の中がすっきりしなくても大丈夫、という方はおそるおそる覗いてみてくださいな。

あらゆる人が昔々から、「パートナーを選ぶ自由」「職業を選ぶ自由」をもっとも切望してきたとされてました。そして気がつけばいつの間にやら
それは何となく叶ってしまったかのようですが、しかし人間は欲張り、もっともっとの思いが心の病を生み出し続けているかもしれません。

「何のために勉強するの?」
「人生を選択する上でより自由である為に」

此の年になって「何のために勉強するか」って聞かれたらもちろん「勉強自体がたのしいから」ですが、それにしても「自由」に勉強できるありがたさ
は何物にも代え難いものの、こんなに「進歩」したはずの文明社会がこんなにも息苦しいのは何なのでしょうね。


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2009年8月29日土曜日

凡庸ということ





この夏のお山は極端に雷が少なかったです。
恐怖感を味わうことが無いかわり、大気の大掃除の小気味良さもなかったわけでして。
武田の落人部落と言われている桧原村の奥地ですが、
何百年か前の人達も、そして(なんとこの山奥に縄文遺跡もありますから)
一万年以上前の人々もこの壮快な夕景を見ていたかと思うと
くらっとする気持ちになりますよ。

そのころの「人」が抱く不安と、現代を生きるわたしどもが抱くそれとの
一番の違いは何なのでしょうか。

筑摩プリマー新書から出たばかりの「中学生からの哲学超入門」竹田青嗣著というちっともやさしくない本に「世の中には問うても決着のつかないことがある」とか「簡単に誰もが答えが出なくなったこと」とかが書かれていて
、それはやがて「神が死んだ」という哲学的問題に絡まって行きます。
哲学はより難解になり、「心」を扱う宗教にとって最大の敵は(全ての人に情報が行き渡る)「資本主義社会」だともあります。

この本をヒントに先ほどの現代を生きる「不安」のことを思うに、
われわれは「不安」の根本的な解決がないことを直感的に知り、それに耐えなければいけないことを朧げでも自覚している点が大昔と一番違う点じゃないかと思うのです。
それがペンギンの大コロニーと違う「人間」のつらさでしょう。

なのになのに、投票日を明日に控えた巷では、断定的にこれが絶対だとか
あちらは決定的に間違っているとかノー天気に主張しています。
なにかを選択しなければ前に進まないわけですが、
それにしてももそっとマシなシステムはないのかと思ってしまいます。

この先どうなるかわからないものの、大化けするかもしれない舛添要一さんの元の奥さんであったところの片山さつきさんが(主義主張や好き嫌いはともかく)、あんな優秀な人が選挙にあたり土下座をしたり、泣いて握手しまくったりなんて状況は茶番に思えます。
少しでも早く総力をあげて選挙結果をお伝えしなければ、なんてことも茶番です。
全力で取り組むなら、例えばもっと社会の隅々の取材とか地道な課題が山のようにあるかと思います。

この現代社会では誰もが「凡庸」であることから免れ得ず、凡庸の土俵から
降りることは出来ないとも言います。
退屈な日常にしっかり耐えなければならないのです。
そういった強靭な生活者に個々人がなったところに、少しだけこの重苦しい
現状の出口があるように思えます。
ばらまきや小手先の解決や小利口な立ち回りなんてもう何の解決にもならないでしょう。

大げさに言わせてもらえば、
私どものようなちょっと浮世離れしたような「ものつくり」の世界の再生も、社会のどっしりとした落ち着きがやってこない限り無理なのではないかと思っているのです。


そんなことを夢想しつつ、
世阿弥の言う「おもしろきもの」「めずらしきもの」を目指せたらな、なんて大仰にも思うのであります。 




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2009年8月21日金曜日

クリムトの着物








グスタフ・クリムトが「接吻」を生み出してから100年が立ちました。

わたしが創作の世界に身を置くようになったきっかけは様々ありますが、
中でもクリムトとガウディを知ったことは大変なことでした。
40年前はインターネットもなく、日本の出版社から出ている本も殆どなく、輸入洋書でしか伺い知ることの出来ないその世界。

世間では殆ど知られていないその世界に接するという密やかな喜び。
しかし多くの人にその世界が知られるようになり、現物を見に現地に行かれる方も多い今でもやはりこのふたつのワンダーランドは自分にとって
変わらず聖地であります。

クリムト死後もうじき100年になり、著作権もクリアー出来ますので
恐れ多いながらいくつか自分なりのオマージュを産みだたせていただきました。
クリムトの作品に特徴的なシンボリックな形をアレンジした生地をオリジナルで織り、そこへさらに手描き友禅と臈纈染めの技法でクリムト模様を染め出したものがこの訪問着です。
模様をジャガード織りの織機にかけるための原稿の草稿と、織り上がった生地、そして白黒主体の着物の写真です。

さてクリムトは57年の生涯で結婚はしませんでしたが様々な「相手」がいらして非嫡出子も何人かおられるようですが、中でも夭折した弟の奥さんの妹である女性とは終生不思議な関係を続け、この「接吻」はじめ多くの作品に登場しています。

エロスと死がそこここに沸き立つイメージ。
「毒」の盛り込まれた食卓。


さて作家の中島梓=栗本薫さんが今年若くして亡くなられましたが、
その凄まじい創作時の集中力を長年のパートナーが語っています。
「それを見ていると小説を書くということは何らかの過剰と欠落の補填の行為ではなかろうかと。」

クリムトの作品から沸き上がる過剰もきっとそういった種類のことなのでしょう。しかしそれを「生」の状態でなくなんらかの「美」に昇華させたところに彼の世界が立ち上がるのでしょう。

最後に真夏の暑気払いとしておまけです。
しもじもの者の煩悩に過剰なパンチを浴びせる車谷長吉氏の一文に遭遇しました。朝日新聞としては異例な感じですが転載させてもらいました。
どうとるかは各自の思いのままに。
わたくしは責任持ちませんからね。

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2009年8月15日土曜日

終戦の日に

八月十五日、今年も蝉が鳴いています。
直接戦争を体験したことがない私にも「その日」の何とも言えぬ空気を感じさせてしまう舞台設定の季節。

やれ不況だ、廃業だ、鬱だと騒ぎ立てたところで、あの時代に比べれば
恐らく何ということでもない話。
以前ならテレビ画面には出なかった様な凄惨極まりない様な記録画像も
紹介されるし、ネットならもっと突っ込んだ映像にも触れられる。
直接体験者達がこの世からそろそろと退場されて行く中で
もっともっとあの時代のことを、生身の個人の言葉で伝えていって欲しいと思います。戦争絶対反対を言うのは当たり前です。
しかし具体的な個々人のレベルでの心構えに繋がるような、些細だけれど
重大な何か、というヒントを語っていって欲しいのです。

例えば次のような映像があります。
いずれも日本の自衛隊の女性自衛官のもの。
「国を守る」という組織の日常の訓練だとこうなるのでしょうが
しかし現実に万万が一このような状況になったとしたらすでにそれは
破滅の手前だということは子供でもわかることです。
女性の兵士が直接地上戦の現場に立たなければいけないなんてことは
未来においてありえないことだということです。これは男の兵士についても同様です。本土防衛なんてありえないのです。
その前にしなければいけない仕事、やるべきことがいくらでもあります。
お金をかけなければいけないことが兵器以外に山の様にあります。
仮想敵国である、ロシア(旧ソビエト)、北朝鮮、中国、もしくはまたまたアメリカなりイギリスの軍隊が宗谷岬なり九十九里海岸なりに上陸して、
それを捨て身で迎え撃つ日本人、なんて白日夢の狂気でありますよね。

女性兵士達の行進は約300人、この塊マッスを60何倍かしたら硫黄島での
日本軍の戦死者になるのですね。
沖縄でも20万人近く  参考「沖縄戦」ウィキベディア
またニューギニアなんて日本より広いところに20万人も送り込まれ
生還者は2万人足らずなどということもこのパレードから少しだけイメージ出来ます。
ついでに余計なことかもしれませんが、昨今の毎年の自殺者3万人というのはこの兵士達100部隊がごっそりいなくなるというわけなのですね。

不況で仕事がないアメリカの女性達が、「州兵」に働き口を見つけたのはいいが、それがイラクに派遣されるようになり、拒否すると刑務所行きということで仕方なく従う、或は国民の義務として積極的に出かける。
しかし現実の苛烈至極な戦場を経て、心を病むもの、日常に復帰できないもの、とくにママさんの兵士は子育てに戻れなくなる例が多数あるということです。ベトナム戦争を経て復員した若者が社会適応できず西部の山中にひっそり暮らすとか、カルトの集団を作るとか様々な話も聞きます。
それほど人間にとって戦争・戦場とは過酷なものなのでしょう。

社会学者の宮台真司はこのような意味を為さない防御兵器の代わりに、
万万が一の抑止力としての報復能力のある中規模な軍事力を持つことを提案しています。このことは大変な賛否があるでしょうが、少なくともなし崩し的に闇雲に、自衛隊という世界でも五本指に入る規模の「軍事力」を持ち続けることの愚かさに対してインパクトある提案ではあるでしょう。

政権選択とかで世の中の「無駄」についてかまびすしいですが、
本当は「財源」なんていくらでもあるというのは、仕事の現場にいる人なら
誰でもわかることです。
どちらが政権を取ろうが関係ありません。

アメリカ社会が、銃によるどんなに悲惨な事件が続発しようが一向に銃規制に向かわないのはそれで「食べている」何百万人かがいるからです。
日本の軍事にも道路にも農政にもこんなことはごろごろ。
恐らく大半の人はそれを知っているし、死ぬ気でやれば何とかなるかもしれない、とは思っていると思います。しかし自分に降り掛かる何十万円か何百万円かの負担にはなかなか首を振れないでしょう。
わたくしとても、明日からの負担増を思うと目眩がいたします。

しかし幸か不幸か、地方の老年世代が今までの自民支持をやめるというのは
大変なことです。もうそこまで切羽詰まっているのでしょう。
何十年か前約束された年金やら退職金やら保険金の額を見直すという、
化け猫の首に鈴を付けることの出来るリーダーが現れない限り
もう現況の重苦しさは解消されていかないのではと思うのです。

しかしそれもこれも、あの「戦争」の時代に比べれば大したことなんかないのではありますまいか。

日中戦争、太平洋戦争と十五年に渡る戦さの末、日本人だけで310万人、アジアで1000万人、世界だと3000万人以上の犠牲者が出たと言います。
そしてその反動で生まれた団塊の世代と言われる日本人約700万人がここ20年から30年の間にそろそろと亡くなって行きます。あたかも戦争のようなスピードで・・・。戦争という世の中の激変物語の後編の有様です。
これがいまから何年かの日本という国の現実の姿だというのです。

地方へ行くと、今まで書いて来たような重苦しい状況に直面いたします。
特にわたしが関わっているような世界ではそうです。
リーマンがあってもなくてもそうだったのでしょうが、ここ一年のばたばたはそれに追い打ちをかけました。
でも多分、今までの何十年かが特殊で例外的な時代だったのです。
常に前年比何パーセントアップとか、右肩上がりの資産価値や利率なんて。
江戸の世では利息なんて無かったというではありませんか。いわく定常社会。

私たちの先達が、着物の染めをする代わりに軍服を作っていたとかパーラシュートの素材の糸を織っていたとか、そんな時代に比べれば私の置かれた状況など、まさに「極楽」であります。

ただただ、浮き世を忘れさせられる様な「素敵な一品」を生みだすことを
夢想しつつ制作していきたいと思います。

大げさになってしまいましたが終戦の日にあたり思いを綴ってしまいました。長々とありがとうございました。

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2009年8月11日火曜日

銀河のストール

天候不順で激暑ではないのですが、それでもじとじとと不快な毎日
です。
長野県松本で過ごした少年時代、あんなに「夏」が好きだったのに今では
一刻も早く過ぎ去って欲しいとすら思う自分に驚く。

「麦藁帽子と、半ズボンから出た太もも同士が擦り合う感覚の絶望的夏休み」。稲垣足穂翁の少年愛ワールドに登場する時が止まったような「夏」。
自分だけの世界が夏休みの終焉と共に終わってしまうと恐怖する。
蝉の声。 稲光と落雷。
日本ではさらにそこに絶望と虚無の敗戦の八月のイメージが加わる。

長野県の夏休みはお盆明けの17,8日位にはもう終わって二学期。
また学校の毎日に戻されて、漸く慣れたかと思う八月末頃、
テレビニュースは都会の子供達の夏休み最後の何とかかんとかを伝える。
なんだか凄く損をしているような感じを毎年抱いていた。
ひと月以上続く夏休みって、一体どんななのだろう?
どうしたらこれからその感覚を体験できるだろうか。
未練たらたら残りの道を歩いていくのだけれど・・・・。

さて本日2009年8月11日早朝大きい揺れで起こされた。
台風が来ているときに、地震が起こることは割とあることだというが、
まるでカルトのとんでも話のようではあるが、
地下の地層が微妙なバランス状態のときに、台風の巨大なエネルギーが
動き出しのきっかけになるというのはありえないことだとは言えないという。まさに台風9号は東海沖を進軍中。

その二日前の9日、山のアトリエで13メートルの生地を染めていたとき、
山全体がごぉーーという音で微妙に振動しだした。
突風が来る前の感じとも違うと思っていたら20秒くらいして本当の横揺れがやってきた。静かな山中だからこそ感じられた直前の前兆だったと思われる。
かなりしつこく長い揺れに折角14年もかけて積み上げた丸太のアトリエも
駄目か、という思いもよぎってしまった。
実は、何年か前の「新潟中越地震」も「中越沖地震」も偶然この山中で体験している。自然のなかで「自然現象」を体験するのは人工世界での体験と違う気がする。恐怖感と諦念。

夏至のころ、八時近くなってもまだ薄明かりで作業できて、得をした思いをしていたのがいつのまにか日の入りは早くなって行き、来月にはもう秋分で
「半々」の頃合いに辿り着く。冬至から夏へ向かう、なんだか「前向き」な感じの季節に比べ、これからどんどん昼間が減って行くという夏至後の半年
は物悲しい「後ろ向き」な感じもしてしまう。

さてそんな地上のうつろいとは無関係に「天上」の世界は不変が如き神々しさ。そんな「銀河」の晴れ姿を写真家遠藤湖舟の一枚で暑気払いにお届けする。長野県で撮影したもの。彼とは45年近く前、自然に魅せられて「世界」に没入して以来折に触れて浮世離れした「自然もの」対話を繰り返してきた。

小生の作る染色作品にはそんな自然モチーフのものが多いのだが、
この秋の制作に向けて、とくにストールを作って行くイメージに
素敵なインスピレーションを与えてくれた写真であった。

写真中心の彼のブログへもどうぞ。

ではまた


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