2010年6月26日土曜日

クリムトの帯

「グスタフ・クリムト」は繰り返し挑戦しているテーマですが二年前の京都の個展で発表した訪問着(アルバムの16番目の写真)に合わせて、軽やかな「ノリ」の帯を染めてみました。お求めいただいたお客様の星座(蠍座)とお二人のお嬢さんの星座(獅子座と乙女座)もひっそり加えまして。
こちらは前柄です


さて
15年目を迎えた「山の工房」づくりですがようやく建具を取り付けることができました。冬はマイナス10度にもなることがありますので、どうしてもペアグラスは必要。
しかし予算的にも厳しいので自作してしまおうかと思ったのですが、昨今のネット上のメーカー工場直販を追い求めた結果、自分で揃える素材代くらいで既製品を手に入れることができました。流通の中間業者さんや末端のガラス工務店さんには申し訳ないですが、ご時世です。ごめんなさい。 しかし安さと引換にあらゆるリスクは全部自分ですから。死にそうに重いペアグラスのサッシを抱え山道をひとりで搬入することの辛さと言ったらもう・・・・。
丸太を削り出した材に取り付けるという、垂直も水平もアバウトだらけの作業の苛立ちと言いましたらハンパでないですし。
私が、この自分での大工仕事を続けてこられましたのは、ネットでの材料注文とあとデフレによる値下がりが大きいです。それ自体はありがたく、また世の中の流れから後に戻らないことですが、たぶん旧態依然たる商売の仕方の様々な人々は廃業やら倒産といったことになっていってるのだろうなぁと、体感的に感じたのでした。
普通こういう柱の素材は三寸角(9センチ)か大黒柱でも四寸角(12センチ)ですが、当方は15センチ20センチ角は当たり前。なにせぼこぼこ当地に生えていましたゆえ、贅沢三昧の大名仕様であります。自分で切り出しさえすれば、のお話ですが。
一週間のうち6日は新宿工房に閉じ篭って染の作業。残り一日を山の工房で「長ーい一反の生地」を張る染めをして、畑をいじり、あと大工仕事。どうしても気がつけば夜の九時、なんてことはざらです。しかしこれが「ソメリエ」のサイクルです。皆様にお会いできるのはですから、
年間ほんとうにわずかということになってしまいます。

もうひとつのブログは作品中心のご紹介なのですが、こちらでもちょっとだけ。オリジナルのクリムト柄のジャガード織の生地に飛柄の「辻が花」模様の付け下げです。

2010年ワールドカップはまだ日本を楽しめていてありがたいことです。ちょっと前まで岡田監督をボロクソに言っていた人々や評論家も「手のひら返し」を見せ出しまして。

2006年ドイツでは直前のドイツとのテストマッチに、高原直泰がワールドクラスのシュートを二本叩き込み、あの豊作世代の大収穫を予感させましたが、残念無念あそこがピークだったのでした。その彼らを少年のころより見聞きしてきた岡田さんが、迷いに迷ったにしても最後に選んだ「賭け」が(たまたまかもしれませんが)今回成功したのでしょう。次の賭けがどうなるにせよ、この10数年にわたる準備の博打はある気持ちの良さを残してくれそうです。
実績や権威のある外国人の監督に頼ることも必要でしょうが、同国人にしか感じられない繊細な何かを切り捨てたらうまくいかない壁もあるように思います。
サッカーという「ゲーム」はそのくらい進化していっていると感じられたここ二週間でした。
さて来週はなんて言っていられるでしょうか。

そして現実の世界でも、不毛な「批判」をしたりそれに耳を貸している暇があったら、一歩でも何か「リアル」な前進をして行きたいものです。


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2010年6月11日金曜日

辻が花と大島紬

新宿工房に大島紬を製造卸する方がいらして、私どもの帯とのアレンジをあれこれ模索していただきました。そのうちのいくつかを紹介させていただきます。辻が花の帯はHPのこちらでご覧ください。







興味をお持ちになった方はHPよりお問い合わせ下さい。


さてさて、話題は一転しまして。
これはソメリエの西多摩工房からの写真ですが、
以前にもちょっと書きましたが、二年前、都知事の石原慎太郎サンが自分の花粉症の症状に頭にきたこともあって、元凶である東京都下の杉林の伐採を命令しました。取り敢えず一割間引いたようですが、その後はどうなったか、そのまま放置されて進展なしです。当初から「物笑い」のネタみたいな話でしたが、まぁこんなことはいたるところに転がっていますよね。「無駄」ってことでも誰かにお金はいくのだからそう目くじら立てても、ということはあるでしょうが、30年40年先のことを見越した分厚い知恵を持って事にあたっていかないと、本当に情けないことになっていくことは明らかです。事業仕分けだなんて大げさなことを言わなくとも、一般レベルで見てどうしようもなくくだらない「仕組み」が山のようにありますよね。
伐採した一割の材が横倒しして放置されているのが見えますでしょうか。手入れしてないので木材としての利用価値も低いのです。つい30年程前までは建築現場の「足場丸太」として利用されていたのですが、今ではそのほとんどが金属製のパイプ「単管」にとって変わってしまいました。


「男と女」
年と共に謎は増えていくばかり。
そのひとつが「釣り」。
あればっかりはマニアックな女性を見ることは(少なくとも小生の見聞きする範囲では)ありません。
女性から見ると、恐ろしいほど長時間、ぼーっと釣り糸を垂れて待ち続けるというのが「シンジラレナーイ」のでしょうか。あゆの季節、またぞろ近くの秋川には「男」たちの姿が点々と。
で、画面左の方、私の生涯初めて見た女性の「鮎ツラー」
。思わず撮ってしまいました。



長々とお付き合いありがとうございました。
ソメリエ

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2010年6月5日土曜日

コロワイ族

写真家ジョージ・スタインメッツ(George・Steinmetz)氏によるニューギニアの樹上で暮らすコロワイ族の写真を見ることができました。氏に敬意をはらい紹介させていただくことを許していただきたいと思います。あまりに素晴らしい写真の数々。

氏のウェブページをご案内させていただきます。
画面右下のview storyをクリックするとそのワンダーランドを垣間見ることができます。

こちらは関連の記事です。

頭の中のもやもやが吹き飛んで行きます。
仕事を終えて寝る前の時間を二週間費やして、
「1Q84」1,2,3を一気に読み倒したこともありまして・・・。このことはまた。

さてさて、
翻って。
我らの脆弱な生存現場。
取り敢えず様々な生活のためのインフラの力を借りて、
なんとかかんとか生きていっています。

東京は新宿の西のはずれの一角。
その昔、ゲリラ豪雨がやってくればたちまちあふれていたという所、暗渠の神田川の支流のそば。

民主党「長妻昭」さんの地元なので、隣の区民会館やら何やらで去年までは結構日常の姿をお見かけしていましたが、今は官僚の皆さんによる、途方もない量の宿題攻撃で身動き出来ない状態にされているとか。

さて。
ソメリエは学生のころ、1976年から2年ほど、東京は吉祥寺の北口すぐの「立ち食いそば」屋さんでアルバイトしていました。生前の寺山修司サンがスポーツ紙に「中央線で一番旨い立ち食い」と紹介なんてしていたこともありました。エピソード満載の店なのですが、今日はそれは置いといて。北口を出たところで、毎朝のようにマイクを持って通勤の人々に呼びかけている「青年」がいました。たぶん当時30前だったのでしょうが、熱意に溢れてはいるものの、まぁなんと徒労な行いであることよ、なんて思って見ていました。「若者」という種族が、社会の問題というものに関わることが虚しいと、おそらく思い始めたころのこと。かの森田童子が伝説の歌を連発していたころ。
小劇場の舞台を作ることにのめり込んでいた自分は、気がつけば世の中は「消費」ざんまいで、完全においてけぼりを食っているということにやっと思い至ったのでした。
世の中は「貧しい」ということから方向転換していっていたようでした。そしてあの80年代へ。
先日ラジオで、東京外国語大学学長の亀山郁夫さんが「戦後日本人の(特に団塊の世代と言われている人々の)モノへの欲望が爆発したのがあのバブルの時代だったのだ。」と
言われるのを聞いて、すとーんとガッテンしたのです。
ずっーーーと「我慢」してきた日本人、30代を超えて、ようやく欲しいものを買うことができるようになって。

一度こういうカタルシスを経ないと収まりがつかないのでしょうね。それもこれも皆あの大戦争の負の遺産。

未だに「成長戦略」の必要性とか言っている「先生」が大勢いますが、もう騙されてはいけませぬ。
インドや中国にあと20-30年売りまくって、その先どうするというのでしょう。あの国々が「超高齢化」社会になっていくのはまだその先だとしても、我らは一足はやく知恵ある定常社会みたいなモデルを作り上げて、全世界の尊敬のまなざしを受ける、といったことでいいのではありますまいか。

その中に「きもの」の世界があれば言うこと無しですが。

ホーキング博士は地球外生物とのコンタクトをすべきでないと言ってます。弱い立場のものにとって良いことはひとつもないから、ということなのですが、そのころコロワイ族はどうなっているでしょうか。人口3000人位と言われますが、個体数20oを切るあたりから絶滅を免れなくなるということです。
もう接触してしまっているのですが、調査が終わったら、彼らをそっとして、ほっといてやってほしいものです。
文明の「恩恵」なんて彼らにはいらないでしょうよ。

でも日本が鎖国したことに対しては複雑な思いがあります。小生の棲息する「工芸」の分野では確実に鎖国による
プラスの面があると思われるのですが、日本人のどうしようもない「せせこましさ」みたいなものはアレに起因する感じが多ですから。
そのあたりはまたまた「日本辺境論」を交えて後日。

そろそろ店じまいです。

自民党に担がれてトップに座らされた社会党村山富市を除けば、正統ルートで初めて「市民」ぽいと言われる人が
この国のトップに座りました。

この国の巨大なシステムからすればちょっとやそっとで何かが変わるわけもないのに、大げさに騒ぎ立てるマスコミと、それに一喜一憂してしまうわれら子羊たち。

小生は別にどこの支持でもないのですが、自分のジェットコースターのようだった「青春時代」にちょっとニアミスした人物のしぶとい歩みに敬意を評して、自分もさらにしぶとくやっていく事を思いつつ、彼の人に奮闘してもらいたいと勝手に思うのでありました。

1977、1978、1979年とことごとく、出る選挙に落ちまくっていた若き日の「菅直人」。
「なーに言ってんだろ」と毎日通り過ぎていた小生。

大げさに「ケネディ」の話ではないですが
国が自分に何をしてくれるか、でなんかなく本当に「自分は何をやれるか」ですよね。


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