2011年5月19日木曜日

Melting

I'm melting, MELTING!

相変わらず節電のため(泣く泣く)ブログの更新を月一回程度に
自粛しまくっているソメリエです。

ある小説家がこの度の地震についての所感を求められて「十年待ってくれ」と言ったとかの話しを読みましたが、
何を呑気な、と思われるのが浮き世でしょうが、1000年か2000年に一度のことを論じるなんて、たかだか100年も生きられない我々の能力を超えてしまっています故、正しい対処なのでしょう。

3.11からこの方、様々な思いが去来いたしましたが、
不謹慎な思いも交えつつちょっとだけ御披瀝をと思いまして。

「メルトダウン」・・・・
高校のとき、英語を好きになるには、好きな英語の曲の歌詞を200曲覚えてみな、と言われたのですが、今に至る迄、その一割にも足しておりませぬ。故に英語は永遠に宿題のままでして。 また艶っぽい話もアプローチとしては良いぞということで、その手も渉猟したのですが、そこで覚えたのが「I'm melting」という一言でした。 このたびの原発事故にあたって
この一節が繰り返し脳裏を飛び交い、辟易いたしました。
そんな人はどのくらいいられるのでしょうかね。

あとこんなことも。

仮設住宅をいついつ迄に作るとか、避難生活をいつまで続けるのかというニュースの折に、何の規制も無かったり材料も好きにしていいとなれば、皆すぐにでも自分の「家」を作り始めるのではないか。フィリピンやリオデジャネイロのスラムなどはそんな感じで増殖していったではないか。大工仕事大好き人間のソメリエはきっとそうするでしょう。
そしてああだこうだ言っている間に、かの秀吉なら一夜とは言わずもごくごく短期にやっつけてしまっているのではないかいな・・・・なんてことを。

うかつなことは申せませんが、何が何でも作らねばとなれば、
昼夜突貫で必ずやごくごく短期間に作り上げられるでしょう。
太平洋戦争中に日本人が死にものぐるいで作り上げた数々のものを思えば、まだまだ直接の被害者以外は死にものぐるいではないのでしょう。
このことが昨今のわたくしの畏れであります。
恐らく普通に生きていって、何世代経ってもこれだけの巨大な
惨事にあうことはないだろうに、今まさにその直近に暮らしているのに何事もなかったかのように自分に日常が繰り返されて
いけてるのが驚異です。

思えば、例えば「沖縄」での戦場の惨劇をどれほど後世に伝えようとしても、時の過ぎ去るままに風化の一途で、一体あの巨大な犠牲は何だったのかと言われてしまいます。
繰り返される「悲劇」ということ。今回その事の残酷さに触れたような気がいたします。

沖縄での戦いを担った「大田実」中将の本土に向けた最後の電文がありますね。
沖縄県民斯ク戦ヘリ。県民ニ対シ後世特別ノ御高配ヲ賜ランコトヲ」というもの。

御高配はあったのでしょうか、今迄無かったとしたら、この先あるのでしょうか。
戦争にしろ天災にしろ、国家は個人保証の責はないそうですが、西欧流の「法」はいざ知らず、ごくごく特殊な自然環境の
この「日の本の国」はなにか特別であっていいではありますまいか。特定の被害者が利益を得るというようなケチな話ではありません。 「自然と共生」なんて生ぬるい言葉で隠されてはいますが、自然に翻弄され続けて生きる「無常」の国、日本の民人の我が身の切実な話しなのです。
諸外国から、整然と被災状況に対していて、不法行為も見られなくて奇跡的だなんてお間抜けなコメントがあるようですが、
まるでイルカに向かって泳ぎがお上手ですねと言っているようなもの、あの状況で最善の事をしているに過ぎません、恐らくあれしかできないでしょう。どんどん自分の「すみか」を作っていくなんて芸当はもう現代日本人には出来なくなっているのでしょう。

わたくし達は何をしていったらいいのか。

ソメリエがあと30年生かさせてもらうとして、ほぼ確実にやってくるだろうあと二つ程の地震。今回体験した震度6弱を上回る実害への備えと、それ以上に、「畏れ」がボケてしまった脳天に、何がしかの「謙虚」を取り戻せるようにと・・・。

そんなあんなこんなを仕事しながら思う毎日です。


最近の作業の合間のほっと一息です、
カラパイアというチョーおすすめのブログがあります。
例えばこんな動物達が山の様に埋もれています。
「浮き世」を忘れて時の彼方に飛んでいってしまいますので
是非どうぞ。
色々好みはあるでしょうが、ソメリエはポータルから「動画」で「動物」「昆虫」ものを眺めるのが「お気に入り」です。


さて付け足しのように本業からワンショットを



地震雲というのがあるそうですが、
関連あるのかないのか3.11の少し前に見たのと同じ様なのを
5.15に見ましたがどんなものでしょうか。
トカゲと蛾の死骸を蟻達がずっーーと運んでいました。
相変わらず月も出て来ます、「1Q84」のようにふたつではなくて、ちゃんとひとつだけ。

こうなってみるとあの世界は今の雰囲気にも拮抗していけてるような気もします。

やはり山仕事だと月のある期間はほっとします。
昔日のひとびとが、どこぞへと通いたくなる気持ちがわかります。


思いっきり長くなってしまいました、節電 節電。


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