2009年10月24日土曜日

加藤和彦

この秋の人参の芽吹きです。
夏野菜が不調のまま立ち枯れし、それでもめげずに蒔いたいくつかの種も大半台風18号の猛雨で流されてしまったのだけど、生き残った部隊は自分の役割を果たしだしてくれています。

加藤和彦、自死。

フォークルの時以降はそんなに好きな音楽という訳ではなかったけれど、
安井かずみと組んだいくつかはホントにきらびやかで素敵だった。

特に竹内まりやの「不思議なピーチパイ」。
2000年ライブバージョンをどうぞ。「september」も続いてます。
ソメリエのお弟子時代、毎年これがかかるとおセンチになって、
もう何回聞いただろう、そしてあと何回、なんて九月になると思ったものでした。

1981年の「サイクリング・ブギ」のまりやの低音もびっくり。
楳図かずおのような加藤さん。

そういえば小野ヨーコとレノンのプラスティック・オノ・バンドがあって
サディスティック・ミカ・バンドがあったわけで。

オリジナルのそれより、そして桐島カレンがいたときよりなんと「抜け」のよい良い曲になったかと思った木村カエラとの「タイムマシーンにお願い」
。2007年、こんないい上がりになっていたのに。
小朝のような加藤さん。

幸せなことに、「ブエナ・ビスタ・ソシアルクラブ」のように老境を迎えたミュージシャン達の渋すぎる音の世界を私たちは見ることができるようになりました。10代から音の世界のあらゆる恩恵を受けて来た加藤さんの70代、80代の音楽を聞いてみたかった。

「感情」というものを持ってしまった人間存在のかなしさ。
(とりあえず)「意識」というものがないとされる植物達の盲目の「生」の
しぶとさを見るにつけ、入れ替わりのできない存在が消えて行く物悲しさに
は深いおののきを感じてしまいます。


ほうれん草です。


長ねぎもぐわんばってますよ。


聖護院ダイコンの双葉。


私の周囲にも「鬱」に関係するもろもろが溢れています。
加藤さんのような60代の事例。ある意味やるだけのことはやり尽くした上でのシモジモから見たら羨むような話。

翻って若い人達のような仕事、生活そしてその先の「未来」に関する切羽詰まった話に比べるとまだマシかと不謹慎にも思ってしまうのでした。

基本的に生活全般の「革命」が終わって、(もちろん病や貧富のことは永遠に残るものの)あとは「意味」の世界になっていることからくる問題。
そんな風に言ってしまうと身もふたもないのでしょうけれど事実でしょう。

長島一茂サンが鬱に関してカミングアウトしていました。
鬱に成ってしまう人は几帳面で繊細であることは確かだけれど、ある意味「ワガママ」で自分の理想と現実とのギャップに必要以上に悩む人種だと。

時間が必要でしょう。
長い長い人生の何年か。ともかくしぶとくやって行きましょうぞ。

それにつけても基本の「生活」が立ち行かなくなってしまうのは痛ましい。
その意味で「ベーシックインカム」が幾分絵空事でなく視界が見えてきた
ような雰囲気があるのはちょっといいことなような・・・・。

驚くべきこと。
民主党政権になってわかった一番のことだそうな。
年金やら介護やら道路やら防衛やら、その問題点を洗い出そうと一生懸命になっていて取りあえず前進するためには必要なことだと言いますが、
驚くべきことにその全てを検証することは不可能だと分かったそうです。
まるでゲーデルの不完全性定理みたい!!

ひとりひとりの人間を見たらそんなにえげつないことはないと思うものの
このていたらくは一体なんなのでしょうね。
若い人達が虚無的になるのは当たり前でしょう。

わたしが、私のできることで何をしていったらいいか?

青臭い話ですが。
「トランジスタラジオ」を作ったキヨシローがいなくなっても、「ピーチパイ」を生み出したトノバンが消えてしまっても、
わたしは一瞬の哀しさを忘れて、また制作に戻るわけです。

それではおセンチついでに
加藤さんが目をかけていた竹内まりやの此の曲でto be continued ということに。まりやさんはソメリエとは同学年。


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