2009年10月15日木曜日

リニア新幹線


2045年に東京ー大阪間67分で開通だそうな。
あと35年、そこまでは生きていようと思うので、そうなったら
冥土のみやげとやらで最後に乗ってみようかしらん。
そんな思いを抱いていたら西の空、日没直後の山並みから何やら後光の如き
光が。ソメリエは殆ど閉じこもって制作していますので新幹線にも滅多に乗りませんが、たまに乗ると嬉しくて窓に張り付いてしまいます。
で東海道だと富士を見て、海も見て、お弁当も食べて、ちょっと本も読もうかと思いきや、もう京都に着いてしまって降りなくては行けない。
シベリアかオーストラリアのうんざりする程まっすぐな鉄道に何日も乗っていたい。
リニアになったらトンネルだらけだろうし一体どうやって楽しめばよいやら。しかしもうそんな憂いを抱くのは自分には無用だというわけでして。

さて野坂昭如さん、あれだけ世の中のもろもろに悪態ついて来た人が、
「もうお先は短いのだから、世の中のことなんかホントにどうでもよい」
と言っているのを見て改めて、時は本当に残酷に刻まれていくのだと思ったのですが、わたくしの「時」に対する感覚のひとつが山の工房の建設なのです。
主に植えられて30年から40年経った杉を300本以上伐採し、その材で作り挙げた建物を取りあえず100年ほど保たせようと目論んでいるのです。
私がこの世から去った後のことは知りません。
大事に扱ってほしいと思うだけです。

太平洋戦争時、戦争遂行のため(燃料用として)丸裸にされた広葉樹林跡に戦後植えられた杉、檜がびっしり育っています。
しかし外材の輸入によって市場価値の低下した杉は放置され
間伐も手入れもないまま、木偶の坊のように突っ立っています。
例えば直径30センチ、長さ20メートルの材を切り出して麓に運んだとしても、人件費の方が高くて利益は出ないと言います。

あと20年もしないうちに諸外国は木材の日本への輸出をしなくなる様な気がします。そうなってからあたふたとしてどうするのでしょうか。
今年から「花粉症」だとかの石原東京都知事の鶴の一声で、ウチの工房のあたりでも杉の伐採が始まりまして、部分的に10パーセントとか20パーセントとかの目標でやっていましたが、作業する人達は焼け石に水と思っているのか、はたまたどうせいつまで続くやらと思っているのでしょう。やりやすい細くて楽な木ばかり倒していました。そして利用もできないので切り倒したその場所に置かれます。放置間伐と言うそうです。まぁ、所謂「お役所仕事」というやつです。

さて私は世の中がどうであれ貴重な杉や檜を利用させていただきます。
すでに始めてから14年の歳月が過ぎようとしています。
ちょっとだけ途中経過をお見せいたしますね。
一応枠組みだけは出来ました。

冬場は零下10度以下になるので断熱材を床下、屋根裏に入れまして

明るい昼間の時間は短いのでどうしても暗くなってからも作業は続きます

いくら好きとは言え一晩中やるわけにはいかず。
本日はここまで、おやすみなさい



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