2015年12月17日木曜日

縄文


新作の「縄文」模様をテーマにした帯です。早速嫁がれていきました。
通常の紋意匠織に加え、黒糸で模様が浮き出るようにデザインし、三重組織に織ってもらいました。今年はこの生地も含め新たに数種類の地紋を開発しました。

臈纈染の技法で地の色が半分かぶさるように、というようなイメージで染めていきます。
縄文という、まことに魅力的な時代から沸き起こるイメージを更に展開していきたいと思います。

下は44インチ幅(110センチ)のシフォン生地のストールを染めているところです。
奥行きは14メートルありますが、猫の額ほどの山の斜面を切り開いたところに作った染め場ですので、大きな生地を染めるのは辛いものがあります。
そして濃い色を一度でも使うと、染料の微粒子がいつまでたっても空中を彷徨い、次に薄い色を染めた時に汚染してしまいます。 というわけで、濃い色を染める染め場を新たに作ることに。
と言ってもただいま時間が全くなく、仕方なく敷地内の廃屋を簡易的に改造して
急場をしのぐことに。
外で染めたり、木に吊るしたり、全く彷徨える染色家。

体育館のような広いアトリエが欲しい。


当たり前ですが、そんな呑気なことを言って後30年は染めていこうなんて不埒なことを言えるのは、「平和」の地に生を営めるからこそ。
この国の地政学的なポジションから言えば、おそらくわたくしが生きている間くらいは、なんとかなるでしょうが、それとてもわかりません。

今ヨーロッパは、第二次世界大戦以来最大のメンタル危機に入りだしたと言います。ものすごく不安定な社会情勢だということ。
このような場で書き散らすような事ではありませんが、「ISIS」がその恐怖支配のために使う覚醒剤、麻薬などの事を日本のマスコミは全く扱わないという事ですが、今年それを「移動」させていた某国王子の逮捕がきっかけでパリの報復テロが引き起こされたそうな。 そしてロシアのプーチンがG20の国の中にISIS支援国が存在するという衝撃の演説がありました。サウ・・なんとかという国の。

日本ではどうしてもアメリカ寄りの報道が多く、どちらかというとロシアは悪役イメージですが、ここしばらくの情勢は、ロシアのいう事の方が真実のような気がします。  全くの素人の戯言ですが・・・・。
その危機の中、持ち帰りが8パーだの外食が10パーだの、本当に取るに足らない間抜けなやり取りをして、なんということか。(決してこの分野に関わる方々の苦労を揶揄するものではありませんが)
個人にばら撒かれる数千円の金などたかが知れたこと。
どうしたら、これからの老人ばかりの国を生き延びられる仕組みを構築できるか。 そのための有用な「金」なら皆んな出しますって。


クラスの中でたった一人、会社の中でたった一人、あるいは町内会でたった一人の極端に不安定な存在が、その他の「安定」を脅かしてしまいます。
その存在を排除したり、抑圧したりする以外に可能な「北風と太陽」のような手立てはあり得るのでしょうか。

今年も幕引きに向かっています。

一年のサイクルが早すぎてギブアップ。
わたくしは一年をオリンピックと同じ365日X4の1500日くらいにしてしまいたい。




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2015年11月23日月曜日

シリア


                                



初めて北海道で展示会を行いました。
行きは成田からビーチ。 なんと5000円、帰りのANAは3倍以上。
スカイマークが頓挫してしまい、この先大手だけで寡占化が進むと利便性は良くならないかもしれませんが、安全面との兼ね合いで一体いくら位が適正なのか、
気をもむところです。




さて、先頭の写真は数日前のシリアへの爆撃の様子だと。
この物体が直後に引き起こす有様をどういう心持ちで見ても良いのか、恐ろしくて書くことができません。

シリアプレスという媒体の発信ですが、極東の地で呑気に暮らしている我々からしたら、気がふれてしまうような世界です。
今回の飛行機でもそれなりのセキュリティチェックはありましたが、彼の国々の切実さからしたら、儀式みたいなものでしょう。
千歳空港は軍用でもありますので、旅客機以外の爆音が神経を余計に逆立てます。こんな爆音とともに突如襲ってきて一瞬にして生を分断する兵器。
どんどん進化して、そしてその性能を「試し」たくなる現場。
発射する側は、ほとんど安全圏にいてゲーム感覚。

「報復」以外の選択は全くのゼロだったのか。
「世界秩序はナチスを絶対的な悪と認定することで成り立っている」と言います。 「ISIS」も恐らくそうなのでしょう。
ナチスは明らかに戦争を準備して、ロシアを最終目標にした領土拡大を目論んでいたようですから、恐らく対する国は話し合いの余地などゼロだったのでしょう。
この度のことも恐らくそれに近いことなのでしょうか。

しかし犠牲になるのは、普通の住民、そして若い兵士たちです。
以下のように南スーダン始めアフリカの紛争国では子供兵が増大していると。
物心つかないうちに戦闘に駆り立てられてしまった彼らの心のケアは並大抵のことではないと言います。





いつの間にやら1914年の第一次世界大戦から100年が経ったというのに、人間は(というより、ひょっとすると男が支配する世界は)全くもって愚かさから進歩していないのでないかとすら思えます。

100年前に登場した「潜水艦」の内部です。
全くシュールで笑ってしまいます。 そこからどんどん進化して、とんでもなく高性能な原子力潜水艦が恐怖のバランスを組み立てています。


故開高健がベトナム戦争に記者として従軍し、絶望して表した「輝ける闇」などの小説では、「血が流されるしか道はないのか」というようなことが書かれています。
血は流されても流されても、まだなお「闇」のままであるとしか言えないでしょう。


ではまた。





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2015年10月29日木曜日

クリムト

 クリムトに触発された染めをやり始めてから25年以上になりますが、未だにアイデアは尽きなく、2016年はいよいよ念願の広幅での織りと染めが実現できそうです。「業界」はケチなことばかり言っているので、是非とも海外で発表したいものです。
世間の情勢はごく一部の人を除き決して明るいムードではありませんが、なーに、よく考えれば当たり前のこと。人口が減るといっても、ドイツ8000万、イギリス、フランスは6500万くらいずつ。なのにあんなに大きな顔して・・・。
国土だって、極東のちっちゃな島国というイメージで、何か狭〜い感じですけど、長さならフランスからドイツに至るくらい。平野は少ないものの実は結構な広さがあるのです。大した自慢にならないけれどGDPが中国に並ぶなんて、とんでも無い巨大な国力ですね。もっともアメリカの四分の一。
彼らは兵器と自動車と食料を爆発させて繁栄しているようなお国でしょうけど。

でも、もう滅多なものを欲しいと思わなくなってしまったのですね。
爆買いのシナの人たちもきっと30年も経つとそうなるでしょう。
彼らに先んじて消費を満喫してしまった我ら大和民族は、何か「別なこと」に貴重なお金を使おうという気配になってきていますよ。



それでもめげずに大都会の片隅で「染めもの」を作り続ける私でした。

来年のベルギー花博に向けてエチュードを作り出しました。


こちらは制作途中の 辻が花の着物。
 猫の吹寄模様の帯。
 信濃路も稲刈りが終わって清々しい秋の空気感でした。


ではまた。
御機嫌よう。




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2015年10月1日木曜日

ハリネズミ

 

 無防備です。

赤ちゃんのくせに背中側は一応臨戦態勢なのに、お腹側の危なさと、油断し放題なのには愕然としてしまいます。

全てに身構えて強気でい続けることなんてできないです。

自分では大丈夫と思っていても、人様から見たら隙だらけなんてことはしょっちゅう。



 こちらを参照させていただきました。
 山梨のカラスたち。
 横浜美術館常設のカラス。
 何故横浜美術館に行ったかと言いますと、お目当てはこの蔡国強さんの作品展。
写真撮れるのはこの作品だけですが、見たかったのはあの「狼」たち。
不覚にも現物を見るまで(画面奥に見える薄ブルーの四角いところ)これが「ベルリンの壁」をあらわしているとは知りませんでした。

数十メートルにわたって飛びかかろうとしている狼たちがいました。


ついでに、こちらはわたくしの作品展。

ではまた







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2015年9月3日木曜日

東京オリンピック

 巷を騒がすデザイン問題を巡るあれこれ。
とても他人事とは思えません。

上は1964年の五輪の時のポスターを2020に転用したデザイン。
ネット上で探してきて(作者に断りなく)ここに登場させていただきました。
いろいろ問題あるかと思いますが。

亀倉雄策さんのデザイン。今見ても素晴らしすぎて溜息が出ます。

日本で今後開かれる五輪は、1000年以上に渡って全部これの翻案でいいとすら思います。
ここ数大会のエンブレムはどれも取って付けたようなつまらないのが多いですしね。

そして、あの「彼」が頻繁に使っていたと言われる「ピンタレスト」。
私も二日と空けずここを散歩しています。これはファッション分野ですが、こことアート分野が小生のホームグラウンド。
時間があれば際限なく見続けてしまいます。

そして制作のヒントが湧き上がることもしばしば。

いわゆる「パクリ」ということはしないものの、参考にしたら似てきてしまうことは否めないでしょう。これを始めネットを通じて資料集めができるようになってから、図書館に行くのが極端に減ってしまいました。
でも、例えば私の手がける「辻が花」を検索したとしても、とてもとても「辻が花」の実像や、細かな知識を超えるようなことまでは登場しません。
現在のネット検索の限界です。
しかしグーグル検索が劇的に変わりつつあることからしても、やがてはかゆいところに手が届きまくることになるでしょうが、とてもとてもまだまだというのが実情です。
ともかく「襟」を正さなくてはね。

そして一般の方も、うすっぺらい「パクリ」なんて言葉を安易に口に出さないで欲しいとも思います。もうこの世の中に新しいことなんてそうはないのですから。

パリ、ポルトガルと発表していただいてきたNPO法人「美・ジャポン」による当工房で染めた「布」。
この秋ニューヨークにも登場とのこと。

さらなる作品を作り続けたいと思います。






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2015年8月10日月曜日

素数ゼミ(周期ゼミ)

 お暑うございます。
ソメリエの忠犬が山の工房よりご挨拶させていただきます。

おとなしくしていたかと思ったら、やってくれてました。
染場から戻ると何となーく変な態度。 (蛇足過ぎますが染場ソメバの読みは「戦場」と絡まって気分的にはそんな感じ)

さて初登場のワン公に絡めてのお話は後で。


この夏吉村仁さんの素数ゼミの話をまたまた読みました。
シャレのようですけど、この話題には周期的に関心が来て、色々な角度で読みたくなってしまうのです。何千年も何万年も繰り返された選択の末に生まれた、最適な「解」という物語。  
人間とても例外ではなく、途方もない試行錯誤の選択の果てでしか「解」には至らないのでしょうか。
というのは(具体的な数字は出しませんが)総人口に対する、戦争での死者も、殺人犯罪も、病死者も実は歴史とともに減ってきているというのです。
乳児死亡率にしても、拷問による死者のような残酷な刑死も、因襲的な生贄死というようなことも含めて「進歩」と言っていいのか、兎も角人類は殺し合い的なことを避けるようにはなってきているらしいのです。
コロセウムでの命がけの決闘を楽しむ貴族たち、なんていうような残虐な習性を、人間は確かに持ち合わせてはいるものの、あまり残酷な事には関わりたくない、或いはそんな事柄に秘かに快楽を覚える自分を嫌悪する、といったような事でしょうか。
さて2014年は第一次世界大戦から100年だということで、ちっとも日本では話題が盛り上がらないうちに2015年になってしまいましたが、欧米では「戦争」というとこの一回目の大戦を言うようで、歴史上未曾有の死者を出した、哲学思想宗教の世界も覆してしまうような恐ろしい破壊の数年だったと言います。
誰もが予想もしなかった偶然の重なりから巨大な軍事が動き出し、毒ガス、飛行機、戦車に機関銃等々人類の「知恵」の総力を挙げて殺しあったと。
主戦場だったフランス北部には未だに立ち入り禁止になっている一次大戦の戦場跡が広大に残っていると今回初めて知りました。
遺体や不発弾のこともさることながら、弾薬から染み出した砒素などの毒素のことには身震いがしました、100年経ってなお・・・。

ちなみに第一次大戦の死者は3700万人、第二次大戦のそれは8000万人位とのこと。日本に限ると310万人、うち軍人軍属230万人、そのうち餓死病死が6割を超えるとの説もあります。そしておそるべきことに1945年の「敗戦」までの一年間に全死者の半数が集中しているのであると。
つまり、負けが分かっていながら、政治の一形態である「戦争」を、国民の絶滅を賭して引き伸ばしてしまった「くに」が日本という国家らしいのです。
「一撃講和」という、アメリカに一泡吹かせてから多少有利に停戦しようという空論も、終戦を長引かせたとNHKスペシャルでやっていましたね。
特攻隊員始め、現場の人間たちはその空虚さに気づいていた。この愚かな捨て身の虚しさをのちの人々に伝えることでしかこの国の再生はあり得ないのだということが書かれた「日記」には、そんな時代に生まれてしまった方々の無念が表れてしまっています。戦争を遂行するのは自らが戦地に立たない、そして戦争を経験したことのないエリートの参謀たちの机上の論理なのです。
ドイツでも似たようなことがあり、「帝国」の野望潰えたヒトラーによる自軍の絶滅に等しい無謀な作戦命令が末期には散見されます。因みにドイツの犠牲者は800万人位。そしてその最大の標的であったソビエトはなんと2800万人位の死者をもって「大祖国戦争」を行ったのだそうです。
第二次大戦最大の、想像を絶する数の死者が、この宗教とイデオロギーと人種差別の坩堝の地帯に眠っています。西欧人同士の肉食の殺し合いは東洋人の感覚では理解不能だと思われます。



さて素数ゼミの吉村仁さんです。何か大学のゼミの講義かというかんじですが。

生物は絶滅を避けるように進んで行っている。このことが最大にして究極の目的であるらしい。 先般、全世界で5頭しかいないキタシロサイの一つが30何歳かで死んであと残すところ4頭だけになってしまったというニュースがありましたが、少数だけ残っても次世代に続けば良いというのは違うということを言っておられました。
当然ここから敷衍すべきは、「国体」が残ることに賭けた政治などというものは、選択の余地はないということでしょう。これは何らかの政治的なアピールでもなんでもありません。ありもしない美学の幻惑にそそのかされてしまったのが、列強に遅れてきて来てしまった「帝国」、ドイツ帝国と大日本帝国だったというのが、拙いながらわたくしの現時点での先の大戦の理解です。
蛇足ですが、吉村氏は社会は「破産」しないことが第一番で、破産というのは生物で言う所の「絶滅」であってあってはならないこと。そして少数のものが勝ち組になるような仕組みは生物界では選択の中にないことからしても、アベノミクス的な方策はミステイクだとのことでした。


生き物が存在すると、必ずや軋轢が生じます。
ノ〜天気に言ってしまえば、いかになごやかにほどほどにうまくやっていくかでしょう。
こんなふうにドドドドドドッと世は流れていきます。
転んでしまうと踏みつけられ命を落とすこともあり。
でも寄り道して、うまいことに出会うこともあったりもして・・・・。

度重なる北の挑発に看過できないほどの死者を出しながら韓国は戦闘の道に踏み出しません。踏み出しようもないと言った方がいいのかもしれませんが、ともかく「割に合わない」戦争は選択の余地がないというのが趨勢でしょうが、しかしどう転ぶかわからないのがこの世の習い。
現場の自衛隊員が、実際の挑発に即座に対処できないという現状には、例えば彼が自分の息子であったのならと考えれば、どうにかして欲しいとは思うでしょう。 しかしその前に、現実の挑発相手を「敵」と認識しなくてはいけないという不条理を、困難ではあるものの滅していくことに賭けていかなければと、夢想するのです。
サッカーやらチェスやらなら相手は「敵」と言うでしょうが、東シナ海やら対馬沖でうろちょろしている、中世の時間から来たような相手を「敵」と認識しないようなウルトラCを、それこそ超エリートのキャリアや参謀の方々に考え出して欲しいものだと切に思います。
さる評論家によると、中国はまだまだ己の非力を認識しており、少なくとも25年くらいは国力の増強を待つと言います。そのころ、さらに相対的な力が低下するアメリカとのパワーバランスがどうなるかはわたくしごときが理解できるものではありません。
アメリカはごくごく特殊な宗教と軍事の国だと言います。そして日本やドイツにさらに遅れて来た帝国「中国」そして中華思想はほんとうにどう出ていくかわからないのが、歴史から伺える不気味な姿でしょう。
そのような未来の事態に対処するのに、現今の国家の決議はどちらがモアベターかはわたしにはわかりません。
ただし、です。

日本の国の、まさにわれわれ、わたしには、物事をはっきり言えないという良くも悪くも「性癖」が、骨の髄から沁みついています。それが、ほんとうにほんとうに一大事のときでも、付和雷同、声高のものについて行ってしまいます。
前にも書きましたが、司馬遼太郎のこの言葉が脳裏を離れません。
「精神主義・原理主義は無能者の隠れ蓑。」
いわゆる左の人にも右の人にも言えると思います。そして自分の主張を繰り替えしすぎて、自分で自分の嘘っぽさにやられてしまっている病理。

しかししかし、わたしは大きいことは言えません。
60を超えてなお、というよりだからこそかもしれませんが、世の中でこれは多分ちょっと違うだろうなぁ、ということに対して、こうやって無責任にネットなんぞで垂れ流すことはできても、面と向かって年上のひとや、「義理」のあるひとや、ちょっとめんどうだなと思うひとや、このひとは根っこのとこで「ばか」だから当たらず触らずにしておいたほうがいいだろう、ってなひとに対してきちんと言えないと思うのです。

そしてそういうのが積もり積もってきっとこんな「社会」になっていってしまったというのが、被虐的かつ冷静な自己分析と現状認識であります。
子供や若い人に対して何らかの罪咎のようなものがあるとすれば、きっとそんなところです。大上段に構えてしょってるー、なんて言われそうですが、本気です。

さて、また脱線ですが、あの小林よしのりの「卑怯者の島」という「漫画」がでましたが、あまり話題にならなかったようです。船坂弘という人の1966年のパラオのアンガウル島での玉砕戦を描いた「英霊の絶叫」という本を下敷きにして、小林が物語にしたものですが、彼がそれを明記しないのやら、なんだか誤解を受けやすいお人柄なのか、どうも偏見を持たれやすいのが損な点だと思うのですが、まっさらの頭で接してみると、どちらもよくぞこれをものにしたものだと思わずにはいられません。このようなものを小学生の自分の子供に読ませるとしたら躊躇するものの、もし知ってしまったのならそれはそれ。
なにしろわたしは中学2年の時、広島原爆のカラー写真を見てしまって、以後あらゆることが変わって、きっと理系的な人間から文系的なそれへ変わっていくきっかけになったと言えるかもしれないから。
日本人の体質とはとか、日本人が行ってしまった戦争とはとか、人間の死の瀬戸際とか様々なことが喚起される作品ではあります。



やっとワン公に戻りました。

大戦末期、空襲に備えて動物園の猛獣中心に殺処分されたのはわりと知られていますが、犬たちも軍用犬として供出させられていたという話はあまり知られてないようです。単なる伝書鳩でなく、特攻の爆弾犬として。
これはソビエトでかなりやられたようですが、ドイツも対抗して行ったようです。何でもかんでも、何もかも根こそぎ総動員して、破壊的な姿になっていくのが現代の戦争でしょう。そして勝者も敗者もなくその後の国民の生命力を奪い、長期にわたる低迷に例外なく陥っていくというわけです。
ただし、自らの安寧を確保できてしまえば、これほど儲かる仕組みはないでしょうから、そのように画策する人間はいるのでしょう。
今ISSやらボコハラムやらは子供を使ってこの手のことをやらかしているとも言います。地雷の安全を確かめる為に先導させるのだとか。


一体、わたくしはわたしの忠犬を、お国の為と差し出すでしょうか。(絶対の効果があるのならともかく、「決定」という空気に突き動かされるだけの行動の為に)

拒否したら、村や町中からやいのやいの言われ、35年も地道にやってきた染の世界からも疎まれたり、取引を断られたり。子供も学校で辛い目に遭わされたり。


さてさて、バッケンレコードになるくらいの長々文になってしまいましたが、
この先、もうちょっと毅然として、言うことは言えるようになれたらいいなとは思います。それがお国のためでもあるし・・・。

なんとも情けない大人ですが、仕方ありません。これが日本人のわたしです。





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2015年7月15日水曜日

新国立競技場



 賛否あるものの、どうにもこうにもいただけない「無理筋」はこのまま通るのでしょうか。
古くはパリの万博のときのエッフェル塔建設の時、近年では京都タワーとかちょっと「未来」的なものを登場させようとする時は決まって反対が沸き起こるのは世の常。
でもこれはちょっといけないかなと。
完成時がピークであとはどんどん劣化していくという、建売住宅みたいな「イケテナイ」代物ということで間違いないかと。

以前にも書きましたが、(我が身に引き寄せて考えても)行政からのお仕事というのは所謂「おいしい」というやつで、見積もりは甘々になるのは致し方ないところもありますが、もし自腹でこれを払うとしたら、一体何処の誰がこんな見積もりにイエスと言うでしょうか。所詮他人事。

先ごろのギリシャの騒ぎの時、彼の国を支援しようとクラウドファンディングが立ち上がりましたが、もしももしも世界中の奇特な方々一億人が2500円ずつ寄付してくれたら、とりあえず一回目の危機は乗り越えられていたというお話。(でも総額は40兆円)
この度の国立競技場もおなじような額。

ただ建設から最終的な廃棄まで50年くらいをみているので、
初期費用の4~5倍はかかるそうで、つまり一兆円。
すなわち老いも若きも(取り敢えず赤ん坊は免除したとして)日本人全員が最初2500円、総額一万円を取り立てられて作り上げるという大伽藍なのです。

ギリシャはアテネオリンピック前もかなり厳しい状態だったようですが、調子こいてオリンピックゴーサインを出したのち、転落の一直線になってしまったと言います。

東日本大震災のおり、民間の寄付が大変な額になっていったのですが、それでも一兆円には達しないだろうと「専門家」は言っていたのをよく覚えてますが、最終的には少しオーバーしたようです。
私が驚いたのは個人の善意というものが「国家」の事業の前には
本質的には無力であるという点でした。
何しろ総額25兆円はいるというのですから。
戦争の費用というのはさらにそれを上回るわけです。
だから戦争は隠れた「公共事業」「失業対策」と言われている国もあるわけです。

取り敢えず止めときましょうね。
都市博でしたか、中止を掲げてあの青島幸男が当選してしまったという珍時もあったことですから。
でもあのいじわるばあさんですら、都市博中止以外の改革はほとんどできず、無常感を抱いて一期で退いたと言います。
そのくらい既得層、官僚組織の抵抗というのは凄まじいわけです。

無駄かもしれませんがこんな抵抗方法もあります。



Imagineの旅、終了したようです。
お疲れ様でした。2月に図案をスタートさせてから4ヶ月、
通常の仕事と並行してどうにかこうにか作り続けて、仕立てに出したのが6月19日。そして月末にアメリカでお披露目。
関係者の皆様方に御礼申し上げます。






次回には梅雨も明けて、あの凄まじい「夏」がやってきてしまっているでしょうか。


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2015年6月22日月曜日

北陸新幹線 初乗車


 今まで東京から5時間以上かかっていた金沢へ(工房を出てからの正味の時間ですが)半分以下の時間で行けました。
車窓からの立山連峰のお姿。ただトンネルが多いのでこれまでのようにゆっくり拝んで入られません。あっという間におしまい。ぶっ飛ばしているので(東海道とかに比べると)揺れはかなりあってあまり静謐な旅とは言えません。
きっとリニアから見る富士山ももっとあっけないでしょうよ。
リニアまで待ってあの世へ、という計画は動機を変えた方が良さそうです。

ついでに言ってしまいますけど、行きはガラガラで快適でしたが、帰りはたぶん日帰り出張となった金沢仕事を終えた中年「リーマン」二人が祝杯をあげ続けて、うるさいことこの上ない。
まぁ、列車の旅は三回に一回は「ハズレ」で、つかの間の旅路を静かに味わうなんて無理です。そういう時はどうしたらいいのでしょうかねぇ。

このところ特に多くなってきているような気が・・・・。

もう少し話し声とかいろいろ周囲に気遣いをしていただけたらね。

二人組、三人組、それ以上になった時の酷さはたぶん皆さんも心当たりある筈。
ほんと、「馬鹿」ですね。

自由席の時だとそっと離れます。
しかししかし、この度の北陸新幹線、ノンストップの早いタイプはなんと全席指定なのです!!
ロシアンルーレットのような予約乗車であります。

 さてさて、一人勝ち模様の金沢では、こんなことになっていました。
「金沢に来るなら春か夏か秋か冬がいいと思う」だって。


 近作の猫の帯です。



2月から作り続けてきた「アメリカ」振袖。
ようやく完成となり、その最終段階にNHKWORLDの撮影がありまして。

地上波には登場しないのですが、ストリーミング視聴できるそうなので、
放映時にはまたお知らせいたします。







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