2009年12月30日水曜日

日本辺境論

月日が鬼のように過ぎ去り、前回此の場所で写真をとってから三週間がたちました。季節は進みましたね、でもこれ以上お日様が沈むのが遅くならず、夜も少しずつ短くなって行く峠を越えたわけで、なんとはなしにほっとしてしまいます。勿論寒さはこれからが本番ですが。
その間此の美しい山では片山右京グループの遭難があり様々な意見が飛び交いました。
普通の人間には「現場」がよくわからず、そのため良いも悪いもあまり感情
に左右されずに思いを述べることが困難です。
今年だけで50回以上トータルでも400回以上富士に登っている
レイアウトなどちょっと読みにくいのですが、「現場」というのはこういうことかという本当に有効な情報を体感出来るかと思います。
その上でこういう事故に対する判断を個人個人で出来る気がしますので
紹介させてもらった次第です。

結論から申しますと、片山右京という人の現役時代のレース観の危うさを指摘する人がいましたが、そんなようなことが出てしまったような事象なのかなと思ったのでした。

人の行動様式、判断様式は本当に変化しない気がします。ですからわれわれのものつくりの分野でも進化して行くのが難しいのだと思います。自分自身の判断、他の人の助言、「情報」というやつ、それをうまく操って進んで行くこと。本当に難しいことです。

此の冬、内田 樹さんの「日本辺境論」新潮新書が静かなブームだそうですが此の本に触発されたもろもろをこれから少し書いてみたいと思った次第です。それは「日本人はつねにきょろきょろしている」という宿命についてです。「本家」でないので常によその評価を気にして、コンプレックスがあって自信がない。
でも「伝統の日本文化」は素晴らしいと思っていることは疑う余地もないし
、自身でも一番落ち着くふるさとではある。しかし他の国の評価がどうしても気になる。

民主党必殺仕分け人のレンホーさんがスパコンを巡って「世界一でないといけないのか、二番目ではいけないのか」なんて口走っていましたが、奇しくもそんなことです。マスコミの生み出す「興味を引きつける為に垂れ流し続ける浮き草のような情報」に踊らせられるわたしどもです。

しかし幸か不幸か、このような物悲しい哀れな世相になって、あぶり出された私たちが住む世の中の危うさ、そんなことにちゃんとちゃんと目を向けて行くのには案外いいチャンスかも知れません。

日本の伝統というものに乗っかった上で日々作り出しているもの、
本当にどのような「意味」があるのか、来年はちょっと「日本辺境論」の助けを借りながら自分なりに考えていく年にしたいと思っています。

新宿に工房を移したこと、100年に一度とかの大嵐、大変な一年でした。
しかし時間も体力もかなりなところまで費やしましたので少しずつ成果は出て行くのかと思っています。もう少し時間が必要ですが、少しは若者達に誇れる様な「日本人のおとな」を目指したいと思います。もう遅いかもしれませんが・・・・。

一年間ありがとうございました。

シルクギャラリー 成瀬 優




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2009年12月19日土曜日

モンキーライト


慌ただしい年の瀬にちょっとスローな話題をと思いまして。
まだ現物を見たことがないのですが「モンキーライト」という自転車やバイク用の「遊び」です。こんなのが町中に溢れるとどうでしょうか。
65ドルと言いますからそんなに簡単に買えるものではないですが。






さて、ネットをうろつくうちにこんな文章に出くわしまして。いわゆる「釣り」というやつでしょうが。

「今日、母親の財布から金パクろうと思って開けたら、 
10年前の母の日に俺があげた肩たたき券が大事そうに入っていた。
俺は泣きながら2千円を抜き取った。 」

誰しも覚えがある苦い回想。
「父親」のではなく「母親」の財布はどうしてああも無防備だったのだろう。

連日仕事漬けの日々を過ごしております。

一段と寒くなってきました。








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2009年12月8日火曜日

ブルーレイディスク


山のアトリエに行く途中、相模原から八王子に抜ける道から富士山の頭をちょっとだけ見ることができます。
暖かい季節のうちは大気が淀んでいて見られないのが、寒さと共に水蒸気が少なくなって御大将の威容が拝めます。
きっと1000年前も10000年前もそして68年前にもこんな感じで日本人は見ていたでしょう。68年前の12月8日、日本はアメリカ、イギリス相手に戦いを開始したわけです。大半の日本人は熱狂してはいても不安でたまらない思いで、中には富士に祈った人もいたでしょう。
そのあたりの「動物的な」行動の怖さはちょうど一年前のブログ「群れるということ」に書きましたので、理屈っぽいなぁなんて思わずに是非覗いてみてください。わたくしがもっとも書きたかったことのひとつですから。


恐らくはもう再びアメリカ相手に戦うなんてことはありえないでしょうから、あのような恐ろしい時代の有様が歴史物語としてしか捉えられなくなっていって、何の「教訓」も伝わらなくなっても致し方ないかもしれません。

今では評判ガタ落ちの「小泉」元首相がたびたび涙した特攻隊のエピソード。実のところ多くの当事者の認識は、「犬死に」としての自分たちの死の意味を後世の日本人に知らしめて、まっとうな「国」としての再生の捨て石となるというような粛然とせざせるを得ないような冷静さでありました。

今年、NHKの番組はじめ、死期が近くまで来ているあの時代の人達の証言が次々と明るみに出て来ました。
海軍軍令部という、戦争遂行の決定権を持つポジションにいたエリート達の
余りの幼い精神性には、恐怖感すら覚えました。

戦争は、戦争を知らない人間によって起こされると言います。
明治以降、日本は戦争ばかりやっていたような印象がありますが、
太平洋戦争時の上層部で実戦経験のある人間は、山本五十六始め数名しかいず、国の進路、戦闘の作戦もエリートの机上の立案だったと言います。

米英ではもっとも優秀な軍人が補給、輸送などの分野に行くのに反し、日本ではそれらは「武士」の仕事ではないということで軽んじられる伝統であったそうな。「大言壮語」、「精神主義」が巾を聞かせ、冷静な情報分析などは驚く程少なかったと言います。

今年60歳で亡くなられた軍事評論家江畑健介さんの、並外れた情報の分析が消失してしまったというのは戦争の実態認識という意味で日本の損失だとさえ言われるようです。

わたしは小学生のころ、ニューギニアに派遣された何十万人かの日本軍が、
食料は現地調達という作戦だったということ、南方だからバナナ、芋はじめ
いくらでも日本より遥かに広い国土にあるはずだとされていたのに、ジャングルの密林にはそんなものは何もなく、疫病と飢餓が待ち受けていたという事実を知って目眩がしたことを覚えています。
そんなあたりから、プラモデルの兵器を集め、戦争を夢想する戦闘物語マニアだったことから醒めていったのです。

もし何十年か、何百年後、此の国に再び「戦争」しか選択の余地がないという状況がやってきたとしても、太平洋戦争の教訓など何の役にも立たないでしよう。軍人軍属230万人、民間人80万人、合わせて310万人の命が失われた行為は、はるか彼方の物語になっていっているはずです。

絶望的なお話です。
しかしその物語が本当に日本の民族の心の底から沸き上がる様な「神話」に
なっていっていたとしたら・・・・。
そんな夢想にしか、捨て石となった若者達の浮かばれる術はないような気がします。

以前にも書きましたが、何度でも書きたいと思います。

司馬遼太郎さんの言葉、
「精神主義、原理主義は無能者の隠れ蓑」。

平和ではあるのでしょうが、重苦しい現代の世の中にもいくらでも転がっている病理だと感じます。


さて、テクノロジーは加速度的に進み、情報は津波のように押し寄せ、個人個人が「仕分け」ていかなくてはいけない(とされる)データはうんざりする程積もって行きます。
イラストレーターの吉井宏さんという方が、ご自身の仕事のデータ、MOディスク750枚分155GBをブルーレイディスク(写真手前、1枚25GBずつ)7枚に「移し替えた」様子を見聞きしましたので転載させていただきました。

何年かしたら、このブルーレイのお皿100枚分がちっちゃいガムひとかけら分くらいのチップになっているでしょう。
一人の人間には恐らくこの何十倍かの「データ」の様な物が積もり積もっていて、「死」というのはそれが一挙に消去されるというようなイメージでしょうか。
年間3万人を超える自殺がすでに10年以上続いていると言います。
あの大戦争の一割に当たる犠牲者が静かに積み重なっていっているわけです。

サークルゲーム。
今シーズンの紅葉も終わりでだいぶ葉も落ちてしまいました。
村人も高齢化して柚子の収穫も思うに任せず実を付けたまま朽ちて行く状態に。私の奮闘だけではどうにもなりませぬ。




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