2008年12月12日金曜日

群れるということ


HP、ブログ、メールと様々な文章を垂れ流して来てしまいました。
本当に書きたいことはごく少ないのですが、わたくしが今まで見聞きして来たことの中でこれだけは是非ということの一つを書かせていただきます。
2008年12月7日の朝日新聞日曜版に載った「群衆の動きに単純な法則」という記事に触発されて、ではこれを機会にと思った次第。

魚や鳥の集団の動きには誰もが心引きつけられると思いますが
物理学者の寺田寅彦も「お互いに合図するのかまねをするのか、それとも外界の物理的条件に応じて機械的に反応しているのか、どちらだか自分にはわからない」と記しています。

1987年アメリカ人プログラマーのクレイグ・レイノルズ氏がこの群れの動きを「Boid」というアルゴリズム(計算手法)で示したことで鳥や魚の摩訶不思議な動きが再現されてしまったのです。
わたくしも全くの門外漢なのでなんのことやらは詳しくはわからないものの
「1-近くの仲間と進む方向やスピードを合わせる 2-仲間に近づきすぎず、離れすぎず一定に保つ 3-仲間がたくさんいる方向へ向かう」この三つを当てはめるだけでオーケーというのです。

このあたりのことはご存知「ほぼ日」の「群れの知能」というページに詳しいです。                このような分かりやすい説明
実際に動きが見られるサイトもあります。(IEではうまく表示されません)

大変面白いので是非あれこれサーフィンしてお楽しみいただけたらと思います。

さて、このような「群れ」のことを頭の隅に置いといていただいて、本題です。わたくしが馬齢を重ねて来ました中で(くしくも馬年なのですが)、本というものを読んで頭にこびりついてしまったいくつかの、恐らくベストワン
といえる一節です。
どこでこの本に出会えたかは定かではないですが、(先週加藤周一さんが亡くなられましたが、あの方の推薦であったかどうか)量子力学の巨星ハイゼンベルクの著書に「部分と全体 私の生涯の偉大な出会いと対話」というのがありまして、みすず書房 3600円 1974年発刊というしろものですが
、物理のお話ではなく主に第二次大戦前の世界に対する考察や様々な巨人達との対話が納められていて、決して難解至極の読みにくい書物というのではありません。(第一わたくしが読んでいたくらいですから)

今は亡き日本人初のノーベル賞受賞者故湯川秀樹博士が序文を書いていられるその本の80ページにこうあります。背景はナチスドイツの台頭する世情と自分たちの理論、技術が原爆開発に関わって行くという状況で、ハイゼンベルクと対話するやはり量子力学者のボーアの言葉、
「あなたが体験した"動き"は、例えば秋になって渡り鳥が群れをなして南へ向かって渡っていくときに起こるものと、はっきりした目に見えるような類似性をもってないでしょうか。誰が南へ向かっての移動を決定し、そもそもなぜこの移動が行われるのかということを、渡り鳥の一羽として知りはしないのです。しかしそれぞれの鳥一羽ずつが、一般的な興奮によって、その場で皆と一緒でありたいという願いにとらえられて、たとえその飛行が多くのものにとって死に導かれる危険があるとしても、一緒に飛べるということが彼にとっては幸福なのです。(中略)この出発に加わった一般の若者たちは、日常の不安や心配事のすべての重荷を投げ出しました。(中略)全力をつくして目標の達成、つまり勝利だけに向かって努力するところでは、それまでに決してなかった程生活は非常に単純で明快なように見えます。」

そして「疑いもなく自分の純情を戦争に捧げたこれらの若者たちが見出したものは、おそらく人間が体験しうる最高の幸福に属するでしょう。あなたが聞かせてくれたような時点において、なおかつ"ノー"と判決を下せるような法廷も存在しません。しかしこのことは恐るべき真実ではないでしょうか。」そしてだからこそわれわれは戦争を避けるための努力をしなければならない、と続くのです。

この一節に出会ったとき、なにか長年のもやもやが吹き飛んだ気がしました、そういうことだったのか。と同時にとてつもない絶望感にも襲われてしまって・・・・・。

というわけです。お付き合いいただきましてありがとうございました。

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2008年12月2日火曜日

ピカソ 絶対色感・絶対音感の世界へ是非

東京・六本木の新名所、国立新美術館は広々として気持ちのいいスペースですが、企画もなかなか手応えがあり、10月20日まで開催されていた「アヴァンギャルド チャイナ」展も何やら怪しげな現代中国の鏡像のようなワンダーランドが広がっていて大変楽しめました。
中でもこの写真のスン・ユァン&ポン・ユゥの作品「老人ホーム」は、広大な展示室に車椅子に乗った"おじいさん"の死体達が蠢きあうという悶絶ワールドなのでした。ある程度の自動プログラムに衝突による方向転換が加わり
無限の動きが静々と進んで行っていたのでした。
絶対本物に違いないと思わせる、様々な人種の様々な職業・経歴の"おじいさん"が生きているような存在感を見せてくれて。

いろいろなバリエーションがあればまた飛んで見に行きますから。
振り袖だらけだとか家政婦さんバージョンだとか、赤ちゃんばっかりだとか。

さてそんな感激も鎮まらないうちに「ホンモノ」のピカソがやってきたのでした。パリのピカソ美術館が大改修をするというのでその間を利用して出稼ぎというか旅に出たというか、兎も角日本に暮らしているだけだったら絶対見られないような規模のピカソに巡り会う行幸。

わたくしソメリエはピカソのホンモノをいくつか見ていて、その威力を或る程度は知っていたものの、万を超す作品の中の何十点かを美術本で見ていたに過ぎません。
今回、心底度肝を抜かれました。
これほど繊細で完成度の高いものだったとは、恥ずかしながらついぞ知り得ませんでした、特にその色彩において!
こんな言い方、大ピカソ翁に対して失礼千万なのは承知しております。
しかし後学の為にもと2800円で買い求めた展覧会カタログのカラー図版を見ても明らかなように、これはもうまるで別物なのでした。
2800円の印刷にハイレベルを求めること自体がナンセンスなのかもしれませんが、なにか怖くなってきました。
他の美術作品にしても、写真を見ただけだと何も知らないのと一緒ではないかと・・・・・。
(ついでに言いますと、このカタログ、160枚程のカラー図版のうち2枚も!裏焼きになっていて訂正表が挟まれていたのでしたが、なんともお粗末。何やってんだろ。きっと赤福白い恋人ミンチ吉兆事故米餃子焼売比内鶏の空気のにっぽん国だからでしょう、小生も人のことは言えません。基本の「キ」を忘れずに)

脱線してしまいました。

兎も角、12月も残すところ14日までです。
土日は漬け物樽の中のなすびみたいな状態でしょうから絶対避けて、
他の日に何をおいても見に行って損はないと思われます。
学生は勿論、会社も「半ドン」にして18時終了までに少なくとも2時間は
堪能できるようにね。仕事どころでは無いかもしれませぬ。
金曜は20時までということでいくらか夜の部、空いています。
何か、美術館の営業の人みたいですが、そんなことはどうでもよろし。
恐らくパリに出向かない限り、もうピカソには出会えないのだから。

普通の美術展だとほとんど女性ばかりで男子は数えるばかりなのにこの度は
男女比は1:2位でびっくりしました。アベックも多かったですが、これはリトマス試験紙みたいな面もあるからご用心。戯れに「よくわかんなーい」なんてこぼしてしまうと、致命的かもしれません。わかるとかわかんないとかなんて問題ではなく、言ってしまえば「魂」のお話なんでしょうから。互いの心底が見透かされてくるような崖っぷちでもありましょうから。

子供のうちから完成されたような絵を描く事ができてしまい、美術教師である父親を自信喪失させたというピカソは、それゆえ自分を理解する周囲を見い出せずずっと孤独だったと言います。
子供のころのような絵を描くために何十年も疾駆したピカソの絵を、では
子供達はどう感ずるでしょうか?  
今回私がふと思ったのは、これは大人でないと「よく感じられない」世界なのではないかということでした。勿論奇妙奇天烈なピカソワールドに強烈に
反応する子供はいるでしょう。でも子供のときはどちらかというと、整然とした整合性の世界に価値を見いだすのではないかなと。

それと牙を剝いたような女がよく登場するのは、あれは本当にピカソ自身(身から出た錆とは言え)女性に対してそう見えてしまっていたというのが
何となくひしひしと伝わってきたのでした。

「ゲルニカ」にしても泣き叫んでいるのはピカソを巡って争う二人の女の姿が案外のテーマだというのも。
つまりこういうことに感応するというのは、図らずも現在のソメリエのおつむの中身を吐露してしまっているなんてことにもなってしまいそうでクワバラクワバラ。

まぁそんなことはどうでもいいです。
兎も角 色彩。
噂に聞いていた、例えば「バイオリンと楽譜」。
このしっとりとした色感。
「庭の中の裸婦」の紫桃色と言った感じの色味の美しさって言ったらもう。
「マリー・テレーズの肖像」も「横になって本を読む女」も
「ラ・カリフォルニー荘のアトリエ」の何とも言えない"ブリリアント・グリーン"も。緑と言えば「草上の昼食」も。そして極めつけ、わたくしは
今回「母と子」に一番引きつけられました。
絶対音感と言われる感覚の色彩版と言えばいいでしょうか。

もうこの調和が至高のもの、そんな感じ。ギターなど楽器のチューニングを
音叉などでやると「合った」瞬間ビヨョ−ンと空気が共鳴しますよね、
あんな感じ。ピカソの絵からビビッドな調子のものはにぎやかに、トーンが鈍いものはまたそれなりに、なにか色彩達が調和しまくってびんびん響いて
きて、いわゆる「シンクロ」状態でした。

誠に幸せなひととき。

もう二度と見られないかもしれないそれらに
もう一度お目もじしておこうかしらん。

皆様も今日できることは明日に、明日できるようなことはあさってかやらないことにして是非「現場」に!!
なおサントリー美術館でも共催されてますが、(申し訳ないですが)どちらかひとつと言えば躊躇なく国立新美術館の方です。

以上「ソメリエブログ アート版」第一弾にあたってにぎにぎしく
ピカソ讚を繰り広げてしまいました。これからもよろしく。


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