2010年6月5日土曜日

コロワイ族

写真家ジョージ・スタインメッツ(George・Steinmetz)氏によるニューギニアの樹上で暮らすコロワイ族の写真を見ることができました。氏に敬意をはらい紹介させていただくことを許していただきたいと思います。あまりに素晴らしい写真の数々。

氏のウェブページをご案内させていただきます。
画面右下のview storyをクリックするとそのワンダーランドを垣間見ることができます。

こちらは関連の記事です。

頭の中のもやもやが吹き飛んで行きます。
仕事を終えて寝る前の時間を二週間費やして、
「1Q84」1,2,3を一気に読み倒したこともありまして・・・。このことはまた。

さてさて、
翻って。
我らの脆弱な生存現場。
取り敢えず様々な生活のためのインフラの力を借りて、
なんとかかんとか生きていっています。

東京は新宿の西のはずれの一角。
その昔、ゲリラ豪雨がやってくればたちまちあふれていたという所、暗渠の神田川の支流のそば。

民主党「長妻昭」さんの地元なので、隣の区民会館やら何やらで去年までは結構日常の姿をお見かけしていましたが、今は官僚の皆さんによる、途方もない量の宿題攻撃で身動き出来ない状態にされているとか。

さて。
ソメリエは学生のころ、1976年から2年ほど、東京は吉祥寺の北口すぐの「立ち食いそば」屋さんでアルバイトしていました。生前の寺山修司サンがスポーツ紙に「中央線で一番旨い立ち食い」と紹介なんてしていたこともありました。エピソード満載の店なのですが、今日はそれは置いといて。北口を出たところで、毎朝のようにマイクを持って通勤の人々に呼びかけている「青年」がいました。たぶん当時30前だったのでしょうが、熱意に溢れてはいるものの、まぁなんと徒労な行いであることよ、なんて思って見ていました。「若者」という種族が、社会の問題というものに関わることが虚しいと、おそらく思い始めたころのこと。かの森田童子が伝説の歌を連発していたころ。
小劇場の舞台を作ることにのめり込んでいた自分は、気がつけば世の中は「消費」ざんまいで、完全においてけぼりを食っているということにやっと思い至ったのでした。
世の中は「貧しい」ということから方向転換していっていたようでした。そしてあの80年代へ。
先日ラジオで、東京外国語大学学長の亀山郁夫さんが「戦後日本人の(特に団塊の世代と言われている人々の)モノへの欲望が爆発したのがあのバブルの時代だったのだ。」と
言われるのを聞いて、すとーんとガッテンしたのです。
ずっーーーと「我慢」してきた日本人、30代を超えて、ようやく欲しいものを買うことができるようになって。

一度こういうカタルシスを経ないと収まりがつかないのでしょうね。それもこれも皆あの大戦争の負の遺産。

未だに「成長戦略」の必要性とか言っている「先生」が大勢いますが、もう騙されてはいけませぬ。
インドや中国にあと20-30年売りまくって、その先どうするというのでしょう。あの国々が「超高齢化」社会になっていくのはまだその先だとしても、我らは一足はやく知恵ある定常社会みたいなモデルを作り上げて、全世界の尊敬のまなざしを受ける、といったことでいいのではありますまいか。

その中に「きもの」の世界があれば言うこと無しですが。

ホーキング博士は地球外生物とのコンタクトをすべきでないと言ってます。弱い立場のものにとって良いことはひとつもないから、ということなのですが、そのころコロワイ族はどうなっているでしょうか。人口3000人位と言われますが、個体数20oを切るあたりから絶滅を免れなくなるということです。
もう接触してしまっているのですが、調査が終わったら、彼らをそっとして、ほっといてやってほしいものです。
文明の「恩恵」なんて彼らにはいらないでしょうよ。

でも日本が鎖国したことに対しては複雑な思いがあります。小生の棲息する「工芸」の分野では確実に鎖国による
プラスの面があると思われるのですが、日本人のどうしようもない「せせこましさ」みたいなものはアレに起因する感じが多ですから。
そのあたりはまたまた「日本辺境論」を交えて後日。

そろそろ店じまいです。

自民党に担がれてトップに座らされた社会党村山富市を除けば、正統ルートで初めて「市民」ぽいと言われる人が
この国のトップに座りました。

この国の巨大なシステムからすればちょっとやそっとで何かが変わるわけもないのに、大げさに騒ぎ立てるマスコミと、それに一喜一憂してしまうわれら子羊たち。

小生は別にどこの支持でもないのですが、自分のジェットコースターのようだった「青春時代」にちょっとニアミスした人物のしぶとい歩みに敬意を評して、自分もさらにしぶとくやっていく事を思いつつ、彼の人に奮闘してもらいたいと勝手に思うのでありました。

1977、1978、1979年とことごとく、出る選挙に落ちまくっていた若き日の「菅直人」。
「なーに言ってんだろ」と毎日通り過ぎていた小生。

大げさに「ケネディ」の話ではないですが
国が自分に何をしてくれるか、でなんかなく本当に「自分は何をやれるか」ですよね。


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