2010年9月3日金曜日

ニーバーの祈り

此の夏お嫁入りが決まってくれた名古屋帯が仕立て上がって参りました。題して「ブレックファースト」。
臈纈染めと絞り染めの併用でふわっとした模様にしてあります。
下は前柄の左右です。「ソメリエ」は時々思いついて変わった柄を染めてみたくなってしまうのですが、それは「こんな柄を身につけた女性がいたらいいな」というところから発想されます。「おせち料理」や「おやき」や「ふぐ刺し」や「カラシレンコン」を染めてみた事もあります 。同じテーマで何回も挑戦するものもありますがいずれにしても一点しか作らないのでなかなか大勢の方に見てもらう事が出来ません。仕方ないですね。


閑話休題。
自分の慌ただしい生活を振り返ると、いかに食事を大事にしていないかが思い出され恥ずかしくなります。端的に時間が無いだけなのですが、それをよしとしている「ずるずる」がきっといけないのでしょう。料理も嫌いではないのですがなかなか必要以上の線には踏み込めません。
皆の衆、ふつうカレーを20分なんかで作ります?
それも10皿分一度にとか。

クリスチャンの家族が食事前に祈る姿を見るにつけ、
わたくしと彼らとの間の「人格力」の差みたいなものに思いを馳せてしまいます。
ですから此の帯のようなブレックファーストをゆとりで
いただくようなことはソメリエの密かな夢かもしれません。

アメリカの神学者ラインホルト・ニーバーのThe Serenity
Prayerという詩にたまたま出会いましたので紹介させていただきます。

神よ、
変える事の出来るものについて、
それを変えるだけの勇気をわれらに与えたまえ。
変える事のできないものについては、
それを受け入れるだけの冷静さを与えたまえ。
そして、
変える事のできるものと、
変える事のできないものとを、
識別する知恵を与えたまえ。
(大木英夫訳)


浮き世の代表選挙なんたらかんたらに当てはめたりしたら
「ありがたみ」がすっ飛んで行ってしまいますから、おやりになりませぬよう。
でもわれらはその「浮き世」に棲息せざるを得ないのですからつらいですね。

テレビ朝日の「朝まで生テレビ」というのが好きで、始まってからもうかれこれ20数年、大体作業しながら「チラ見チラ聞き」してきたのですが、八月の「中国」テーマのときこんな話になりました。
中国という国は、個別にみると問題だらけですが、ともかく大勢の人が未来に希望を持っている、翻って日本人は(出演者の中国の人も言っていましたが、他国からみると羨むくらいの良い国なのに)そのように希望を語る人が本当に少ないと。
日本がもっとも景気の良かった80年代に、「未来」を提示することに失敗したのが此の国の不幸の遠因だというのです。

大上段の話はさておき、
一回一回の食事をおろそかにせず、それを楽しみ、食材を作った人、それを食べられるように調理した人に思いをいたせるような「あたりまえ」の姿を見失ってしまっているかもしれないと思ったのでした。

夏の終わりはいつも人並みにおセンチになるのですが、
今年はちっとも退場してくれないので、まずこちらから
おセンチになってみました。
プリプリの「世界で一番熱い夏」なんてしゃれになりませんよ。


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2010年8月28日土曜日

名取裕子

普通、八月も終わりとなれば「慣れ」とか「適応」で暑さにもいくらか対処できるようになっていき、なんとなく
夏が終わってしまうのが寂しい、なんて温情の気持ちのひとつも出てくるものですが、甘い!!
どこまで続くぬかるみぞ。
倉庫を改造した(つまり断熱材なぞ入ってもいない)新宿工房のお日様側の壁は、まるでホットプレートのようで、深夜になってもその放熱で30度を下回ることはありません。

夏暑く、冬寒い染色工房、修行には最適です。

以前にきもの研究家の中谷比佐子さんのアイディアで作らせていただいた「宇宙」のきものです。
名取裕子さんに来ていただいた此の写真で
熱波に一陣の涼をと思ったのですがどうでしょうか。

下は今回の個展の為に染めた「東京辻が花」の訪問着です。
お山は夜、すこーしだけ秋の風が吹いて来ました。

皆様今しばらくの辛抱ですぞ。



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2010年8月21日土曜日

東京辻が花展







暑いというより「熱い」というような外気の中、ご来場いただきありがとうございました。様々な方々から現在の着物を巡るあれこれをお聞きする事ができました。
松坂屋さんは現在「フォーエバー21」というブランドのお店が一階から五階まで三分の一程入っているので、そのお客さんの中国、ロシア、韓国、スペイン、インドといった様々な人々が通り過ぎて行き最初は面食らったのですが、
我々の六階のサロンの隣が関税のコーナーだったので、必ず「外人さん」は通過する必要があったわけです。
彼らの目に「東京辻が花」はどう写ったでしょう。

ともあれ今回のことをヒントにさらに前進して行きたいと
思っています。ありがとうございました。


秋の気配はまだありません。 でももうすぐ九月。

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2010年8月13日金曜日

東京辻が花 





銀座松坂屋での個展開催中です。
前回の京都個展の時のような「大袈裟」なものはありませんが、いずれもすぐにでもお召しになって銀座の街並みに溶け込みそうな作品ばかり展示しております。

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2010年8月7日土曜日

東京辻が花 


突然の展覧会が決まってしまいました。

デパートの作家サロンスペースに空きが出来てしまったということで、9月に発表しようとしていた「辻が花」達をなんと「お盆」と「夏休み」真っ最中の銀座でお目見えさせてしまうという事になったのです。

灼熱の日本国を脱出していない方々、よろしかったら銀座ぶらぶらついでにちょっとお寄り下さいませんか。

「流行りもの」のiPadなぞで、制作風景やコーディネイト写真をお見せできるかと、手ぐすね引いてお待ちしております。

なお今回は特別事情ということで諸経費が余りかからず、お求めいただける時は、かなりお値打ちな価格にさせていただく事ができました。

東京 銀座松坂屋6階作家サロンにて

中央区銀座6-10-1 銀座4丁目交差点より新橋方向左手すぐ   03-3772-1111(代表)
8月11日(水)~17日(火)10:30~19:30 17日のみ17:00終了

わたくしは終日会場におりますので、どうぞお気軽にお声を掛けて下さい。

此の夏も、殆ど外出せず制作に明け暮れる日々でしたが、
ごくたまに徘徊したときに目にした光景からいくつかお目にかけます。

まずは中央道を東京に向かっていた時に諏訪湖の南から見た八ヶ岳です。
山のアトリエを駆け抜けた嵐と闇。
最後の「赤光」はほんの数分の出来事。

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2010年7月21日水曜日

紫根

ニホンの皆様、なにか凄いアッツイと聞きましたが、37度っていったいどんな感じなのかしらん。
こちらはこれからマイナス40度とかが当たり前の季節に向かっているとこです。
あたしたちの世界は皆さんの言うブルーからパープルって感じが支配するようなイメージですけど、パープルってそれぞれの人が思い浮かべるイメージに凄く違いがある色だって聞きました。


東京の「シルクギャラリー」さんは「ディープブルー」で有名だって聞きましたけど、お暑いのにご苦労さんです、
ムラサキの方もがんばってみてくださいな。
以上南極より漁業通信員のお二人でした。



どうも。
ここから灼熱の東京です。
「紫根」がブームとかで、一般の方も「色」を巡るあれこれに関心を持っていただくのは凄くうれしいです。
特に日本人は「五十茶百鼠」なんて言葉がありますようにごくごく一般的な方でも「ベージュ」「グレー」の微妙な違いを嗅ぎ分けていただけます。それも50種類100種類も。 そんな「色達」のなかでもムラサキは特に不思議な曖昧さを秘めた色なのではないかと思います。
上のカラーチャートのいくつかなんてホントにごくごく大雑把で、例えばこんな感じを見ていただいただけでも「ムラサキさん」の守備範囲の広さをおわかり頂けるかと思います。工房では日々「色」と格闘しているのですけど、ふたつ前のブログで紹介させてもらったような「カラーパレットの帯」を展開してまた不思議な色の世界をお見せできる日も近いかと思っています。


さて、15年目に突入した山のアトリエの建設もいよいよ最終段階に入って来ました。相変わらず遅々としたあゆみですが、確実に進んでいってます。
杉、檜300本余の伐採と「始末」そして道路作りだけで五年、本体にかかりだして10年になるわけですが、その当時に今ある「知恵」が自分にそなわっていたら、と思うのですがあとのまつり、修正しながら進むしかありません。
しかし四苦八苦して身に付けたささやかな「知恵」の持って行き場はどうしたら良いのでしょう。もう一個作りますか? 結構そのつもりもあるのですが・・・。




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2010年7月13日火曜日

つかこうへい

一日4-5箱はないだろうに、つかさん。
煙草というものは相当な負担を体に掛け続ける習慣。
東京都下では条例で落ち葉焚きすら禁止されるようになってきましたが、山のアトリエではそんなことは言ってられないのでトイレやらの紙の始末も含めて焚き火は日常茶飯事。「燃やす」ということがあると30メートル位離れていても即座に分かる。そのくらい燃焼によって生ずる物質は強烈。煙草の葉の成分云々ではなくて、すでに此の「小さな焚き火」が相当な負荷を体に与えるわけです。ソメリエは小劇場系世界から「足を洗い」染色の世界に弟子入りしたときすでに25歳、喫煙歴OO年。ぎりぎりで生活していく日常に「月小一万」の煙草代はありませんでした。これ幸い、禊の意味も込めて煙草からもおさらばしようと思い、金銭的に不可能であった故、見事足を洗ったのでした。その後自分でギャラリーを建てたり、杉、檜を300本以上切り倒してログハウス的なアトリエを作り上げるにあたって、「肺」が綺麗になっていたというのは行幸でした。ごく稀に手伝いの友人達も顔を出したのですが、愕然としたのはその中の喫煙者のあまりの体力のなさでした。畑も手伝ってくれる者もいたのでしたが、「気が利く」女性程にも動けない有様。
こんなんで良いのだろうかと・・・。

肺がんで逝ってしまったつかこうへいの言葉で一番頭に残っているもの。
「舞台に上がれば客は三秒で見破る」

何をって? その役者の底の浅さをたちどころに感じてしまうのであります。小手先のことはなにをやったって駄目。
小細工も演技の勉強も意味をなさない。
何かを表現しようということは、こちらの内臓から脳みその中身までさらけ出し恥をさらすこと。
その覚悟は?

多分あのころの「小劇場」は「覚悟」についてのあれこれをめぐってうろうろしていたのではないかと思うのです。正直なところ、つかこうへいの舞台はソメリエにはちょっと肌合いの合わないところがあって自分のランキングでは高くはないのですが、あの過剰さはいったいなんなのかというひっかかりは常にあったのでした。後につかさんの在日二世だとの告白を聞いて、かなりの部分で合点がいったのでした。

それにしても、長きにわたる覚悟、志の持続。
10万本に成るのではないかという煙草と引き換えの思考。
若くしての見事な表現の完成度。
駆け抜けることのできた人間に畏れを抱きつつ、
わたくしは日々カタツムリの歩みをするしかないのです。
つかこうへいの在りし日の一撃の文。某所よりの引用ですが。

世の中の慌ただしさに紛れてどさくさ的に言ってみます。

長い長い時間をかけるしかない世界の虜になってしまった
若者は、その甘美な誘惑と夢に破れるまでは突き進むしかないのでしょう。例えば音楽だったり、舞台だったり、ダンスだったり、小説だったり、絵だったり。海外協力隊や医療ボランティアやお寺での修行や、あれこれあれこれ、枚挙にいとまがありません。金銭的な損得からかけ離れた世界に生きる道を見つけようとする人間は、誰に止められようがそれしかないかのようにやってしまいます。
最近若い人達と話すと、かえって昔よりこうした「意味」に生きる人が増えて来ている様な気がします。意味を見出せないと「うつ」的な世界に入らざるを得ないかもしれません。そしてどう現実世界と決着をつけていくかが最大の難問なわけです。
そんな意味で月7万とか8万の最低生存費を全国民に一律に配ってしまおうというベーシックインカムはあながち白日夢の夢物語とは言えない気がします。
民主党がこけた最大の理由が、消費税への所得保証という
実現不可能な制度を唱えた事だと言いますが、線引きの300万なり400万という個人所得の把握なんて出来る訳が
ないというわけです。(フランス始め諸国の失敗例からしても)一年前に1万なんぼかバラまいた党が民主党のやり口の失態をあげつらう間抜けさかげん。
かたやできもしない手当を公約してしまう大甘なおひとよし達。
目眩がしてしまいますよね。
実際の給付に関わる行政窓口の多忙を考えても、一体21世紀にもなって何をしているのかと思ってしまいます。
夢物語のようなベーシックインカムが、実はかえって早道だという逆説を少しは考えてみてもいいのかもしれません。少し前まで唱えていた田中康夫はどうしたのでしょうか。小生の高校の二年後輩、長野の知事を追われてしまって、あのばかばかしいまでの荒唐無稽さの持って行きようはあるでしょうか。
「小役人」的な候補者ばかりの中であのちょっと人間離れした感覚は貴重ではある気がしますが・・・・。

脱線してしまいました。
少しエリを正します。

ソメリエの生きて来た染めの世界、
とりあえず10年間、と言われましたが10年くらいで何とかなる話ではありません。そして憎らしいことをいうようですが自立支援とかで職業訓練校に三ヶ月通う間の補助金、なんてありますが今時半年くらいで役に立つスキルなんてあり得ないでしょうに。

農業を志す若者や、意識的な転職希望者が増えていると言います。これも数年は無収入を覚悟しなければ成らない世界、しかも自然相手、努力が必ず結果に反映すると言う保証はありません。

大袈裟な「政治」を床屋政談のように語るつもりはありません。上記の二つは生身のソメリエがすこーしだけ分かっている世界の話です。
うまくいっていた良き時代に自分たちが決めた退職金や年金を確保して、逃げ切ってしまった大人達とは、今戦っている若い世代は決定的に違います。ベーシックインカムなんかで金が入ればナマケモノが増えて社会が乱れるなんて言う人がいますが、なんと「人間」というものをわかっていないのでしょうか。何パーセントかはそんな人もいるでしょう。
しかしどんな制度設計をしたところでロスはあります。

それより、月数万円あれば最低限に生きて、「意味」で生きて行ける「若さ」という時代があるということを優先して考えられないものでしょうか。「意味」を追い続けているうちに自然と「スキル」と「覚悟」が身に付いて行きます。「中途半端な才覚よりは誠実な一歩一歩を」というところです。

中国の人民公社や旧ソビエトのコルフォーズなんかの失敗例を出す人もいます。たしかに集団農業は駄目だと思います。しかしベーシックインカムは自己責任の「個人単位」だというところが単なるばらまきとは違うのではないでしょうか。

GDPの大半を占めるという個人消費、ひとりひとりが小さな「意味」を見出して行ければ、積み重ねは巨大だという気がいたします。

以上わたくしの狭い世界から考えたあれこれを、
小劇場というチョー非生産的な現場を駆け抜けたつかこうへいが世を去ったどさくさに紛れて書かせてもらいました。



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