2018年2月23日金曜日

ナッシュ均衡



 南極大陸のイギリス基地の乗る巨大氷山が陸地から分離する流れなのだそうです。
この事態は織り込み済みだそうで、巨大なそりの上の基地構造物はズルズルと引っ張って安全地帯へ移動できるように設計されているとのこと。
ただ、現実に動かしたことはないので果たしてどうか、ということなのですが、無事引越し終わったようです。
これは氷なのでありそうなのですが、陸地とて同じこと。

この世に永遠に安定しているものなど、何もないのです。

ちょっと、春を前に「アンニュイ」になってます。

子犬のように尻尾があったらいいな、なんてどこかのセリフ。
小さい花も大きな花も隣り合わせ、それでも花は互いに嫉妬なんてしない。


突然ですが、またもまたも繰り返される、アメリカの銃による悲劇のこと。
秀吉の刀狩り以来、武器を取り上げられて骨抜きになっている私どもからすると、
愚かの極みのようなアチラの世界ですが、全くもってどうしようもないことだという、
身も蓋もない理解をせざるを得ない説明があります。
それがナッシュ均衡という解釈。
例えば、自動車が登場したばかりの社会を考えたとして、左側を走っている車も、右側を通る車もあったとして、事故が起こらないようにだんだんどちらか一方になっていったら、もうその逆を行く車は無くなっていきます。一旦その流れができたらその流れに逆らうことは不可能になるというのです。
つまり開拓時代から(国土が広すぎて)自分の身は自分で守らざるを得なかったアメリカ社会は、「銃を持つ」という選択をせさせるを得ず、一旦それが定着すると、どんなに法律で改正しようとも、その法律を守ろうとする「善良な」人々ほど犠牲になり不利益を被ることになる為、なおさら改善が困難になって行くというもの。

2年前、わたくしは誠に恐縮なれど何十年か続けていた年賀状をやめさせていただいたのですが、こういう慣習も、大多数が行っていると自分がそれをやめるのは気がひけるものですが、無しにする流れが50%を越すと、流れは急速にそちらに傾きます。

しかし銃の場合がとてつもなく困難なのは、たとえ世の大半、9割が放棄したとしても、後の一割の威力は少しも変わらないというところにあるので、なおのこと放棄という選択をしなくなるという点にあります。たとえ銃のない世界の方がモアベターだとアメリカ人が思っていたとしても。

そしてこの恐怖の均衡の行き着く先に「核」があるわけです。
銃にしても、核にしても自らの制御を超えた「道具」を手にしてしまったという人類。









20歳の時からだからもう40年以上のお付き合い、古流家元の大塚栄司氏の作品を見てきました。銀座松屋で古流諸派が一同に会する展覧会。
三途の川をいく舟をイメージしたという作品。
「小劇場」の舞台を一緒に作っていたのが、突如消えて無くなり、陶芸家に弟子入りして、そしてまたその器を使って自らのお花を生けるという道行き。

わたくしもあと最低20年は(嫌がられてもしがみついて)制作していきたいので、
三途への道行き、走っていきましょう。







今年もゴールデンウィークの5月2日水曜日から5月6日日曜日までの5日間、毎度お馴染みの日本橋三井ホールにて「東京キモノショー」が開催されます。
昨年末から取り組んでいる新作の数々、いよいよピッチを上げて制作していかなくては間に合いません。
写真は自家製の特殊な装置で、100センチX800センチのオリジナル生地に色挿ししている光景です。
どうかお楽しみに。


ではまた。
ごきげんよう。



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こちら新人(と言っても4月で4年目に突入しますが)のつれづれのお話です。


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